イングランド王エゼルレッド2世(1)

文字数 790文字

エドワード懺悔王の父で「無策王」と呼ばれたエゼルレッド2世についてです。作品集は下の画像から入って下さい。
13世紀初頭の写本に描かれたエゼルレッド2世と書いてありました。
エセルレッド2世(968年ー1016年)はイングランド王(在位978年ー1013年、1014年ー1016年)「エゼルレッド無思慮王」、「エゼルレッド無策王」とも称される。エドガー平和王とその妻エルフリーダ・オブ・デヴォンの子。
「無策王」というのはフアン1世の「不真面目王」とよく似ている。
どうせ私は「不真面目王」ですよ。
978年、兄のエドワード殉教王が暗殺されたため10歳で王位についた。エゼルレッドはその治世を通じて絶えずデーン人の侵入に苦しめられた。デーン人が侵入する都度、イングランドは「デーンゲルド」と称される退去料を支払ってきた。これは一時的な平和には寄与したものの、度重なる支払いでイングランド財政には大きな負担となった。
兄が暗殺されて10歳で王位についたというのは穏やかでないですね。
エゼルレッドは、デーン人がノルマンディーを拠点としてイングランドに攻撃を仕掛けることを恐れた。そのため、ノルマンディー公国と友好関係の樹立を図り、ノルマンディー公リシャール1世の娘エマと結婚した。
この頃からノルマンディー公国と強い結びつきがあったのですね。
「無策王」と呼ばれてますけど、ちゃんと考えているじゃないですか!
また、エゼルレッドはデーン人に対する懸念から、国内のデーン人を虐殺した。このことは、当時のデンマーク王スヴェン1世の反発を招き、デーン人の侵入を激化させることになった。イングランドの国内勢力をまとめ上げることもかなわず、ついに1013年、デーン人の攻撃に屈して姻戚関係にあったノルマンディーへの亡命を余儀なくされた。
エゼルレッド2世の時代のイングランドはデーン人の侵入に苦しめられたようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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