ブルゴーニュ公フィリップ3世(1)
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フィリップ3世(1396年ー1467年)は、ヴァロワ・ブルゴーニュ家の第3代ブルゴーニュ公(在位1419年ー1467年)。ブラバント公(在位1430年ー1467年)、エノー伯・ホラント伯・ゼーラント伯(在位1432年ー1467年)、ルクセンブルク公(在位1443年ー1467年)でもあった。「善良公」と呼ばれる。ジャン1世(無怖公)と妃で下バイエルン=シュトラウビング公・エノー伯・ホラント伯・ゼーラント伯アルブレヒト1世の娘マルグリット・ド・バヴィエールの長男。
フィリップ3世はイングランドとフランスが死闘を繰り広げる百年戦争において、初めはイングランドの同盟者でありながらほとんど手を貸さず独自に領土拡大政策を進め、フランスが反撃を開始すると徐々にフランスへ接近、やがてイングランドから離れてフランスと和睦、百年戦争がフランス優位になる転換点を作った。
幼少期の1403年、祖父のブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)の意向でフランス王シャルル6世の娘で又従姉に当たるミシェル・ド・フランスと婚約、合わせて姉マルグリットとミシェルの弟のルイの婚約も決められた。
ミシェルとルイは私の義理の孫シャルルの姉と兄ですが、ミシェルは27歳の若さで母イザボーの命令で毒殺され、王太子であったルイは18歳で急死しています。フィリップ3世の姉マルグリットはその後アルテュール・ド・リッシュモンと再婚しています。
1415年、イングランド軍がフランス遠征を開始すると父の命令でアルトワ防衛に向かったが、当時父が率いるブルゴーニュ派と対立していたアルマニャック派が単独でイングランド軍に戦闘を挑みアジャンクールの戦いで大敗、父から参戦を禁じられていた善良公はこの戦いに加勢しなかったことを後悔している。
1419年に父がアルマニャック派の手によって殺害されたためブルゴーニュ公位を継承、ブルゴーニュ公になると、父の仇であるアルマニャック派が推す王太子シャルル(後のシャルル7世)に対抗するため、フランス王位を要求していたイングランド王ヘンリー5世と同盟を結ぶ(アングロ・ブルギニョン同盟)。これにより、百年戦争はイングランドが優位に立ち、ヘンリー5世は1420年のトロワ条約でフランス王位の継承権を手に入れるまでになった。