ジャン・カルヴァン(6)
文字数 994文字
予定説はオランダのカルヴァン派で発展し、救済の予定が人間(アダム)の堕落の前とする堕落前予定説と、堕落の後とする堕落後予定説との論争が起こった。堕落前予定説では人間の自由意志の余地は全くないと批判されることがある。
救いの選びと、滅びの選びについて教えた二重予定説についても議論が多い。聖書は救いに選ばれた者のために書かれたのであり、カルヴァンは滅びの選びを強調していない。滅びに選ばれた者のために聖書が書かれたわけではない。
オランダ改革派のヤーコブス・アルミニウスは予定説に反対し、普遍救済説を提唱したが、1610年に改革派のドルト会議で、このアルミニウスの思想は異端として排斥された。このとき「人間の全面的堕落、無条件的選び、限定的贖罪、選びの召命における不可抗的恩恵、聖徒の堅忍」という、カルヴァン主義の5つの特質として定義された。
イングランドのメソジストは、予定説を批判するアルミニウス主義をとっている。ジョン・ウェスレーがアルミニウス主義を受け入れたために、カルヴァン主義のジョージ・ホウィットフィールドとの間に論争が起こった。イングランドのメソジストはアルミニウス系だが、ホウィットフィールドの影響があるウェールズのメソジストはカルヴァン主義である。ウェールズのメソジストを助けたハンティンドン伯爵夫人もカルヴァン主義者であった。
ドルト会議以降、カルヴァン主義系統とアルミニウス系統の論争が続いていたが、自由主義神学(リベラル)が現れ、この敵に立ち向かうために、福音陣営において両者の論争は沈静化した。日本においてもリベラル派の聖書観に対抗し、聖書信仰に立つカルヴァン主義者とアルミニウス主義者が協力して聖書信仰運動を展開した。協力が結ばれたのは、新正統主義のカール・バルトの聖書観に対する反発があったことも指摘される。