クレメンス6世(1)

文字数 1,283文字

クレメンス6世について紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
クレメンス6世は前にも名前が出ていますよね。
カール4世がフランスの宮廷に預けられた時の家庭教師です。
余の父上はシャルル4世とクレメンス6世には深く感謝していた。
クレメンス6世(1291年ー1352年)は、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位1342年ー1352年)フランス出身の貴族で、本名はピエール・ロジェ。
教会の組織機構を整備させた一方、ナポリ女王兼プロヴァンス女伯ジョヴァンナからアヴィニョン市を買い取り(1348年)、前教皇ベネディクトゥス12世が始めた教皇庁宮殿の建設などを行ったために財政状況は悪化したという。(なお、アヴィニョンはフランス革命まで教皇領として続く)。教皇庁建設には各地から画家が集まり、国際ゴシック様式の普及に一役買った。
贅沢をして財政を傾けてしまうなんて、私に似ていますね。
その豪奢な生活でも知られており、「どんな君主も、金遣いの派手さでかなう者はなく、気前のよさでも匹敵する者はいない」、白テンの毛皮を1080枚も所持し、「ギャンブルや競馬」に打ち興じ、「教皇の宮殿は.....時間を問わず、つねに女性を歓迎」していたという。
酷いですね。クレメンス6世はカール4世の家庭教師をしたくらいだから、すごく頭がよくて幅広い知識を持った人だったのでしょう。僕は幅広い知識を持っていればよい行動ができ、そういう人が教皇や皇帝になれば世界はよくなると信じていました。でもそうではないようです。がっかりしました。
たくさんの知識を持つ者がよい行動をするとは限らない。本人が贅沢して堕落するくらいならまだいいが、豊富な知識から自分は神から選ばれた特別な人間だと勘違いし、人々を惑わせ、国や世界を破滅に導く者もいる。
即位後の1343年、ローマ市民代表のニコラ・ディ・リエンツォ(通称コーラ)がアヴィニョンを訪れ、教皇のローマ帰還を熱心に訴える。教皇はコーラの訴えに感銘を受け、第2回聖年(1350年)を実施する旨を定め、コーラに祝福を与えた。
聖年は1300年にボニファティウス8世によって最初に定められ、ローマには多くの巡礼者が集まりました。
聖年が決まればローマの市民も商人も豊かになるということですよね。
コーラはローマに帰った後、1347年に護民官となってコロンナ家などの貴族層を抑え、市の実権を握る。(コーラ革命とも呼ばれる)。アヴィニョンにいた人文主義者・ペトラルカも多大な期待をかけていたが、コーラは次第に尊大な振る舞いに出たため、教皇庁からも批判を受け、まもなく失脚、後に捕らえられてアヴィニョンに移される(コーラは次の教皇インノケンティウス6世のときに再びローマの実権を握るがまたも失脚、最後は処刑された)。
コーラは教皇に近付いてローマの実権を握るけど、結局は失脚するのですね。
教皇に近付き、聖年のような大きな富がもたらされる式典を約束できれば、市民は夢中になって彼を祭り上げるが、尊大な振る舞いによって失脚する、似たようなことをした者は歴史上数えきれないほどいる。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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