アキテーヌ公ギヨーム9世(2)
文字数 815文字
ギヨーム9世は、年代記作家オルドリック・ヴィタルが述べているように非常に奔放な性格だったようで、1088年に母方の従姉妹に当たるアンジュー伯フルク4世の娘エルマンガルドと結婚したが、夫のふしだらな女性関係のせいでエルマンガルドは情緒不安定となり3年後の1091年に離婚してしまった。ギヨーム9世は1094年にトゥールーズ伯ギヨーム4世の娘フィリッパと再婚、エルマンガルドも後にブルターニュ公アラン4世と再婚したが、1119年にランスで開かれた教会会議でギヨーム9世を不品行で訴えている。
トゥールーズ伯領目当ての再婚は1096年に妻フィリッパの叔父レーモン4世が第1回十字軍に参加、エルサレムへ向けて出発してトゥールーズを不在にしたことでチャンスが訪れた。フィリッパの継承権を主張して軍をトゥールーズに派遣、1098年に占領したのである。ところが、1100年に十字軍参加者の財産保全を司っていたローマ教皇パスカリス2世から圧力を受けたため、レーモン4世の息子ベルトランへ返還せざるを得なかった。
これにはギヨーム9世の心変わりもあり、トゥールーズ奪取のため第1回十字軍に参加しなかった彼もエルサレム奪還の報せを受けて、自分も十字軍に参加したくなったため、トゥールーズ返還後は一転して十字軍の準備に奔走した。