フィリップ4世(7)

文字数 1,406文字

フィリップ4世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
フィリップ4世はボニファティウス8世との確執やテンプル騎士団の解散をめぐる醜聞から、目的のためには手段を選ばない合理主義者のように見なされがちであるが、個人的にはきわめて敬虔なキリスト教徒であり、祖父ルイ9世の列聖に尽力し、十字軍による聖地奪回を夢見ていた。晩年になって王妃ジャンヌが死去したのちは巡礼におもむき、断食の苦行をおこない、また、修道院をいくつも建立している。
フィリップ4世について、よくわからなくなってきました。
フィリップ4世にあっては、稀に見る傲慢さと稀に見る敬虔さとが同居している。一見互いに矛盾しているようにみえる2つの性格は、フランスこそがキリスト教圏の中心に位置し、フランス王こそがヨーロッパ諸王の中で最も敬虔なキリスト者であるという確信によって結びついていた。このような論理に立脚すれば、フランスに奉仕すること、王に忠勤を尽くすことが、とりもなおさずカトリック教会を守り、キリスト教を守護していくことにほかならない。そのためには、たとえ相手がローマ教皇であろうと戦うことをためらわない。ボニファティウス8世は、前任のローマ教皇ケレスティヌス5世を暗殺したとも一部で伝えられており、その正統性には疑問がもたれていたのである。
フランスは古い時代から発展し、土地も豊かで、王の権力も強いから様々な争いに巻き込まれ異端の思想も入ってきました。そうした激しい体験をしたフランス王の考え方は、私達のように中世からの信仰を守り続け、大きな争いもなく王位を継いできたアラゴン王には理解できないです。
フィリップ4世は王妃ジャンヌ(ナバラ女王フアナ)との間に7人の子を儲けた。ジャンヌと死別した当時フィリップ4世はまだ37歳と若かったが、再婚はせず、妻との思い出に生きた。2人の間の子は

1. ルイ10世(1289年10月4日ー1316年7月5日)フランス王

2. マルグリット(1290年ー1294年)没年の1294年、3,4歳でフェルナンド4世(カスティーリャ王)と婚約していた。

3. ブランシュ(1291年ー1294年)

4. フィリップ5世(1291年ー1322年1月3日)フランス王

5. シャルル4世(1294年ー1328年)カペー朝最後のフランス王

6. イザベル(1295年頃ー1358年8月23日)イングランド王エドワード2世と結婚

7. ロベール(1297年ー1308年)

成人に達しえた息子3人はみな相次いでフランス王となったが、彼らの子供の大半、特に男子が全員夭折したため男系は途絶え、最終的にカペー朝は断絶する(特にシャルル4世は死後に生まれた末娘ブランシュ以外、全員が夭折する有様だった)また娘イザベルはイングランド王エドワード2世の王妃となり、後にイングランド王家がフランス王位を請求する百年戦争の遠因となった。1328年に男子なくシャルル4世が死去した時、フィリップ4世の子女のうちイザベルだけが存命であったため、女子相続を認めないフランスの慣習からすれば、イザベルの子エドワード3世にフランス王位継承権が移ると考えられたためであった。

ナバラ王位はルイ10世(ナバラ王ルイス1世)の娘ジャンヌ(ファナ2世)によって継承された。

フィリップ4世は本人だけでなく子供の世代になってからもフランスの歴史を大きく変えていますね。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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