ヨハンナ・フォン・バイエルン

文字数 1,223文字

今日はヴェンツェルの最初の王妃ヨハンナ・フォン・バイエルンについて話題にします。作品集には下の画像から入ってください。
ヨハンナ・フォン・バイエルン(1362年ー1386年12月31日)は、バイエルン公アルブレヒト1世(皇帝ルードヴィヒ4世の息子)の次女。1370年に8歳で後にボヘミア王・ローマ王となる9歳のヴェンツェルと結婚した。
バイエルン家はよく名前を聞きますよね。
シャルル6世の王妃イザボー・ド・バヴィエールもバイエルン家出身です。
え、あの悪名高い・・・
私の義理の孫シャルル7世は生母のイザボー・ド・バヴィエールと対立して苦労しました。実の母よりも義母になる私の娘ヨランドに親しみを感じていたと思います。
8歳や9歳で結婚というのは随分早いですね。
王族ではよくあることで、特別早いとは思わない。
1370年8月23日、ヨハンナは両親と共にデン・ハーグを出発し、ロッテルダム、ケルン、マインツ、およびヴェルツブルクを経由してニュルンベルクへ向かった。ヨハンナらはヨーロッパウナギと塩漬けニシンを贈り物として持参した。
ヨハンナの両親はいずれ皇帝になるヴェンツェルと娘が結婚するのだから、すごく期待したと思います。
9月18日、ヨハンナはニュルンベルクにおいて皇帝カール4世の代理人に引き渡された。
ヨハンナの両親がシュトラウビングの居城へ向かっている間に、ヨハンナはプラハの王宮へ連れてこられた。ヨハンナとヴェンツェルは親戚関係にあったため、9月21日にマルセイユでカール4世は教皇の特免状を手に入れ、その8日後に象徴的な結婚式が行われた。
親戚関係・・・教皇の特免状・・・
王族の結婚ではよくあることです。私の甥マルティーノとシチリア女王マリアも親戚関係でしたが結婚しました。
最終的に結婚式は1376年にプラハで行われた。2人の間に子は生まれなかった。
1386年12月31日、ヨハンナは夫ヴェンツェルの猟犬に襲われたことがもとで死去し、プラハ近くのシトー会のケーニヒザール修道院に埋葬された。
えええー!それはつまり・・・
余の猟犬がヨハンナに噛みついた。もちろんすぐにそばにいた者が猟犬を引き離したが、彼女は死んでしまった。
野生動物や犬は我々の知らない病気を持っているかもしれないから非常に危険である。
そんな理由で王妃が亡くなったら、ヴェンツェルは辛いでしょうね。
ヨハンナの両親が彼女の死んだ原因を知ったらショックを受けると思います。
いや、死因についてはただ病死として詳しいことは伝えていない。それに当時はいろいろなことが重なっていたから、悲しんでいる暇もなかった。
ヴェンツェルは1389年5月2日に、ヨハンナの従兄弟ヨハン2世の娘ゾフィー・フォン・バイエルンと再婚した。
王妃が若くして亡くなるということは、この時代はよくあることですが、このような不幸な事故で亡くなったことはヴェンツェルのトラウマになって彼の性格を変えてしまったかもしれないと思いました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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