ヨハネス23世(対立教皇)(1)

文字数 1,347文字

前にも話題にしましたが、ここでもう1度ヨハネス23世についてまとめます。作品集には下の画像から入ってください。
ヨハネス23世(1370年頃ー1419年、在位1410年ー1415年5月29日)は教会大分裂の時期の対立教皇である。ナポリ出身、本名はバルダッサーレ・コッサ。
当時、ヨハネス23世とローマ教皇グレゴリウス12世(在位1406年ー1415年)、アヴィニョンの対立教皇ベネディクトゥス13世(在位1394年ー1417年)の3人の教皇が並び立っていた。
教皇が3人もいるとは信じられない、大変なことです。
経歴は怪しく、ボローニャ大学で学んだ後海賊、軍人になったとも言われる。ローマ教皇ボニファティウス9世の下でローマ教皇庁へ仕え、1396年に助祭長、1402年に枢機卿に任命され、1403年から1408年にボローニャの教皇特使にも選ばれた。行政手腕があったが出世欲、虚栄心もあったと言われ、ボローニャで不品行な貴婦人の情夫になったとの噂も流れた。
かなり怪しい人ですが、こういう人の方が出世しやすいのでしょうか?
1409年にピサ教会会議で選出されたアレクサンデル5世が翌1410年に急死した後、メディチ家当主ジョヴァンニ・デ・ビッチの支援でコッサが教皇位に就く。この時も醜聞が流れ、アレクサンデル5世はコッサに殺されたとの噂もあったという。メディチ銀行は教皇庁との取引で莫大な利益を上げ、教皇庁の財務管理を任されて15世紀末までこの立場を保った。
ヨハネス23世とメディチ家はくっついてお互いに利益を得たというわけですね。
同年、ローマ王ループレヒトの死で行われた神聖ローマ帝国のローマ王選挙に介入してジギスムントを支持、翌1411年の選出に力を貸してローマ派のナポリ王ラディズラーオに対抗した。
ヨハネス23世は余の異母弟ジギスムントを支持したというわけか。
ボヘミアではプラハ大司教ズビニュク・ザイーツがプラハ大学学長ヤン・フスを異端と訴え、訴えを聞き入れたヨハネス23世は1410年8月にフスの著書焼却を命令、翌1411年にフスを破門した。
同年9月、ローマを占領していたラディズラーオを討伐するため十字軍を計画、贖宥状を翌1412年5月にボヘミアへ販売したことがフスらプラハ大学教授陣の猛反発を招き、7月に再度フスを破門、プラハへ聖務停止命令を布告してフスをプラハ退去へと追いやった。一方1415年5月にルイ2世ダンジューと共にローマを占拠するが、1413年6月にラディズラーオの軍にナポリを追われ、フィレンツェに逃亡した。
私の死んだ後ですが、娘のビオランテはルイ2世ダンジューと結婚しています。
ヨハネス23世のやっていることは世俗の王のようで教皇らしくないです。それに職有状まで出してフスから猛烈に批判されています。もしこの時に選ばれた教皇が別の人だったら、コンスタンツ公会議の結果は違ったものになったかもしれません。
ヨハネス23世はジギスムントへ助けを求めたが、教会大分裂の事態を解消するため、公会議招集を望んでいたジギスムントの圧力と交渉で1414年11月、ドイツにコンスタンツ公会議を招集する。
コンスタンツ公会議を招集したのはヨハネス23世ですが、その途中で彼はとんでもない行動をとります。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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