第4代ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーン(4)

文字数 1,180文字

第4代ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーンについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1567年4月23日にボスウェルによってメアリーが誘拐されるという形で、5月15日に2人は結婚した。メアリーは彼にオークニー公爵の称号を与え、オークニー諸島とシェトランド諸島の領地を与えた。しかし、6月6日にはアーガイル・モートン・アソールなどの反ボスウェル派の貴族たちが反乱を起こし、メアリーとボスウェルは反乱軍と戦ったものの、6月15日にエディンバラ東部の町カーバリー・ヒルで投降した。
2人が結婚してすぐに反乱が起きてしまったのですね。
ボスウェルはメアリーと別れた後、ダンバー城にたどりついた。以前からマリ伯の行動に不審を抱いていた貴族たちがそこに集結しており、ボスウェルは小規模な軍隊を編成したが、枢密院の有罪宣告により貴族たちは姿を消していってしまい、メアリー救出までには至らなかった。ボスウェルの首には1000クローネの懸賞金がかけられた。その後、ボスウェルはハントリー伯を訪ねたが、協力は得られなかった。
いろいろ知るとダーンリー卿の殺害はボスウェル以外の人物のような気がして、彼の不運が気の毒です。
そこでボスウェルは養父で大叔父のマリー大司教の援助により、6隻の商船と漁船を率いて自分の領地であるオークニー諸島に向った。領民からは歓迎されたが、ボスウェル逮捕命令を受けた城の司令官が攻撃してきたため、もう一つの領地であるシェトランド諸島に向った。ここでも歓迎を受けたものの、マリ伯が小規模の艦隊を送り込んできた。
マリ伯はかなりしつこいです。
ボスウェル一行は小さな船に乗り込み、ノルウェーに漂着した。しかし、ノルウェーからデンマークのコペンハーゲンに連行され、そこで身柄を拘束された。その後、マルメー城からドラグスホルムの国事犯収容の監獄に移された。この頃のボスウェルは発狂していたという説がある。

1578年4月14日にボスウェルは獄死した。

この頃のボスウェルの状況を想像すると本当に痛ましいです。歴史は残酷です。
ボスウェルには強圧的なところはなく、統治能力に優れていたという。彼は盗賊団の討伐だけでなく、経済を揺るがしてきていた国内の偽造通貨取り締まりなどにも、短期間で実績を挙げている。また、国王としての考えで、絶え間なく争い続ける各氏族の長たちを、輪番制の規則を作って枢密院の決定に従わせようとも考えていたらしい。もし、もう少しボスウェルに時間が残されていたのなら、争いの絶えなかった当時のスコットランドには平和がよみがえり、スコットランドは大きな発展をしていたかもしれないという説がある。
スコットランドの歴史は本当に複雑で矛盾に満ちています。次回からはジェームズ5世の王妃でメアリー・ステュアートの母メアリー・オブ・ギーズについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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