ゴドフロワ・ド・ブイヨン(8)
文字数 847文字
ゴドフロワは1099年に最終的に聖地エルサレムに到着するまでの間、目立った軍功を上げることはなかったが、重要な役割を果たした。1097年、ドリュラエウムにて宿営していたボエモンの軍勢がクルチ・アルスラーン1世率いるセルジューク軍の奇襲を受けた。先陣を張ってきたボエモンとは離れた場所に宿営していたゴドフロワだったが、トルコ軍の奇襲の報を受けた彼は、少数の騎馬隊を率いてセルジューク軍に反撃を敢行しボエモンらを救援した。十字軍はその後も着実に小アジアを進軍したが、幾つかの文献によると、ゴドフロワは進軍途中に熊に襲われて大怪我を負ったという。
怪我を癒し進軍を継続したゴドフロワは、1097年9月から開始されたアンティオキア攻囲戦にも参加した。この包囲戦は1098年6月まで続き、長く苦しい包囲戦となった。アレクシオス帝はこの包囲戦は失敗したと決めてかかり、約束されてきた食糧の提供を取りやめたことを受け、アンティオキアを包囲する十字軍は食糧不足に陥り、十字軍の多くはヨーロッパに帰還した。