カスペの妥協(3)
文字数 1,381文字
ルイ3世・ダンジュー(1403年ー1434年、7歳)アンジュー公、プロヴァンス伯およびナポリの対立王ルイ2世・ダンジュー(1377年ー1417、33歳)の長男。母ヨランド(ビオランテ、1384年ー1442年、26歳)はフアン1世の王女で、マルティン1世の姪にあたる。
ビオランテがアンジュー家に嫁いだのは私が死んだ後ですから、どのようないきさつで結婚したのかはわかりません。でもその時には弟のマルティンが王位を継いでいたので、ビオランテは女王ではなく王女としてアンジュー家に嫁いだのです。最初からアラゴンを継ぐと決まっていれば、結婚相手の選び方も違っていたでしょう。
私は娘の教育も王妃に任せっぱなしでした。フランス人の母親に教育され、フランスに嫁いだビオランテは私からアラゴン王家の血を引いていますが、心はフランス人だったに違いありません。そして彼女は自分の役割を見事に果たしてアンジュー家に貢献しました。ですからルイ3世ダンジューもまたアンジュー家の人間です。