カスペの妥協(3)

文字数 1,381文字

カスペの妥協の時のアラゴン王の候補者は他にもいました。作品集のページには下の画像から入ってください。
ルイ3世・ダンジュー(1403年ー1434年、7歳)アンジュー公、プロヴァンス伯およびナポリの対立王ルイ2世・ダンジュー(1377年ー1417、33歳)の長男。母ヨランド(ビオランテ、1384年ー1442年、26歳)はフアン1世の王女で、マルティン1世の姪にあたる。
シャルル7世(1403ー1461、フランス国王在位1422ー1461)、マリー・ダンジュー(1404ー1463)なので、シャルル7世から見て同じ年の義理の兄になります。
ヨランド・ダラゴンは私の娘ですから、ルネ3世ダンジューもマリーダンジューも私の孫になります。
結局ルイ3世ダンジューはカスペの妥協でアラゴン王に選ばれることはなく、ナポリ女王ジョヴァンナ2世の後継者にも選ばれますが、1434年に彼女に先立って亡くなってしまいました。
ルイ3世ダンジューはアラゴン王とナポリ王の後継者に選ばれていますが、父ルイ2世ダンジューからはどこも受け継いでいないのですか?
ルイ2世ダンジューはルイージ2世として1389年から1399年までナポリ王でしたが、ラディズラーオに奪われてしまいました。ナポリ王位を巡っても複雑な争いがあったということです。
それならばルネ3世ダンジューにとってというか、父親のルネ2世ダンジューにとって息子がアラゴン王位を継ぐということは魅力的な話だったに違いない。
これは後からの話ですが、ルネ3世ダンジューはフランス国王シャルル7世の義理の兄でもあります。もし彼が王位を継いだとしたら、フランスとの関係は強くなっていたのではないでしょうか。
余はモンペリエの相続人マリアと結婚してモンペリエを手に入れた。余の時代のフランスはまだ地方の力が強かったが、その後フランスは強国になった。惜しいことをした。
でも、私はビオランテの長男ルイ3世ダンジューがアラゴン王に選ばれなくてよかったと思います。
なぜそう思う?ルイ3世ダンジューはそなたの孫であるぞ。
ビオランテがアンジュー家に嫁いだのは私が死んだ後ですから、どのようないきさつで結婚したのかはわかりません。でもその時には弟のマルティンが王位を継いでいたので、ビオランテは女王ではなく王女としてアンジュー家に嫁いだのです。最初からアラゴンを継ぐと決まっていれば、結婚相手の選び方も違っていたでしょう。
私は娘の教育も王妃に任せっぱなしでした。フランス人の母親に教育され、フランスに嫁いだビオランテは私からアラゴン王家の血を引いていますが、心はフランス人だったに違いありません。そして彼女は自分の役割を見事に果たしてアンジュー家に貢献しました。ですからルイ3世ダンジューもまたアンジュー家の人間です。
もしルイ3世ダンジューがアラゴン王になったら、アラゴンはフランスの影響を強く受けたでしょう。だから私は直系の孫であっても彼がアラゴン王になることは反対です。
結局ルイ3世ダンジューはサヴォイア公アメデーオ8世の娘マルゲリータと結婚したが子供はなく、31歳で早世して弟のルネが所領を相続します。
フアン1世の孫ルイ3世ダンジューはアラゴン王には選ばれませんでしたが、フアン1世の血はマリー・ダンジューからフランス王ルイ11世、シャルル8世へと流れています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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