エドワード懺悔王(2)
文字数 890文字
1045年に結婚した妻エディスの父であるウェセックス伯ゴドウィンの勢力に対抗するため、ノルマン人を教会と国家の高い地位につかせ勢力の均衡を図った。ロバート・オブ・ジュミジエールをカンタベリー大司教に据えたことなどが挙げられる。
アラゴン王のラミロ2世はエドワード懺悔王とは逆に修道士としての純潔の誓いを捨てて後継者を残しています。ラミロ2世は反乱を起こした貴族を処刑し、結婚して娘をもうけています。同じキリスト教徒の貴族を騙して殺し、純潔の誓いを破ったことはラミロ2世を苦しめました。でも結果としてアラゴン王国を守って歴史の流れを変えているのです。
1051年にマーシアやノーサンブリアの伯と共同し、ゴドウィンを宮廷から追放することに成功したが、翌年にゴドウィンと息子ハロルド・ゴドウィンソン(後のハロルド2世)は亡命地から帰還し、逆にノルマン人の有力者を追放することになった。