ポルトガル王ジョアン1世(3)
文字数 1,180文字
ジョアン1世はカスティーリャ王国の背後に同盟国フランスがいるのに対抗して、1386年にイングランドとウィンザー条約を結んで同盟した。1387年にカスティーリャ王国と最初の休戦協定が結ばれたが、1396年から1397年にかけて起きた小競り合いを経て数度休戦協定が結ばれた。
この当時アラゴンはカスティーリャとフランスに味方しています。私の父上ペドロ4世はカスティーリャのペドロ1世との戦争を有利に進めるためにエンリケに味方をして、私の妻はフランスの有力貴族の娘を選んでいます。カスティーリャ王フアン1世は1375年に私の妹レオノールと結婚しています。
1411年、カスティーリャ王国と「和睦」を結んで側背の脅威を排除すると、積極的な勢力拡大に乗り出した。1415年、エンリケ航海王子と共にモロッコに進出し、同地に勢力を拡大した。当初はナスル朝が支配するグラナダに進出する計画を持ったが、イベリア半島内で勢力拡大を行うとカスティーリャを刺激する、という懸念から、アフリカ大陸方面にその伸長先を設定した。
でも私の弟の子マルティーニは1390年にシチリア女王マリアと結婚し、1392年には弟のマルティンと一緒にシチリアに侵攻しシチリア王になり、さらにナバラ女王となるブランカと結婚するなど頑張っていました。だが、残念ながら嫡子には恵まれず、マルティーノは1409年、弟のマルティンは1410年に亡くなりアラゴンは後継者がいなくなりました。