ポルトガル王ジョアン1世(3)

文字数 1,180文字

ポルトガル王ジョアン1世についての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
ジョアン1世はカスティーリャ王国の背後に同盟国フランスがいるのに対抗して、1386年にイングランドとウィンザー条約を結んで同盟した。1387年にカスティーリャ王国と最初の休戦協定が結ばれたが、1396年から1397年にかけて起きた小競り合いを経て数度休戦協定が結ばれた。
この当時アラゴンはカスティーリャとフランスに味方しています。私の父上ペドロ4世はカスティーリャのペドロ1世との戦争を有利に進めるためにエンリケに味方をして、私の妻はフランスの有力貴族の娘を選んでいます。カスティーリャ王フアン1世は1375年に私の妹レオノールと結婚しています。
1387年2月2日に、イングランドとの同盟の証としてジョン・オブ・ゴーントの娘フィリッパとポルトで結婚した。2人の間に生まれた王子たちはいずれも優秀であった。
あれ、この時のイングランドの国王は誰ですか?
1387年の時、イングランドの国王はエドワード黒太子の子リチャード2世が継いでいました。けれどもイングランドもこの後複雑な争いがあります。
1411年、カスティーリャ王国と「和睦」を結んで側背の脅威を排除すると、積極的な勢力拡大に乗り出した。1415年、エンリケ航海王子と共にモロッコに進出し、同地に勢力を拡大した。当初はナスル朝が支配するグラナダに進出する計画を持ったが、イベリア半島内で勢力拡大を行うとカスティーリャを刺激する、という懸念から、アフリカ大陸方面にその伸長先を設定した。
優れた王がいると、国はどんどん発展していくのですね。
同年代のジョアン1世が活躍している時、アラゴン王フアン1世は何をしていた?
私フアン1世は1387年に即位しています。宮廷は王妃とその寵臣が牛耳るのに任せて狩りに熱中して国の財政を傾かせてしまいました。
フアン1世は全く活躍してないではないか。余の子孫として恥ずかしい。
でも私の弟の子マルティーニは1390年にシチリア女王マリアと結婚し、1392年には弟のマルティンと一緒にシチリアに侵攻しシチリア王になり、さらにナバラ女王となるブランカと結婚するなど頑張っていました。だが、残念ながら嫡子には恵まれず、マルティーノは1409年、弟のマルティンは1410年に亡くなりアラゴンは後継者がいなくなりました。
そして1412年、カスペの妥協でカスティーリャ王子のフェルナンド1世が後継者に選出されました。
ジョアン1世はその後も、積極的な勢力拡大に努めてポルトガルの全盛期の基礎を築き上げた。またこの頃から長男のドゥアルテを共同統治者とする。1433年、77歳で崩御した。
ジョアン1世の人生は一点の曇りもない、偉大な王にふさわしい人生ですね。
その後もポルトガルはいろいろな国と関係を持って発展していきます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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