カスティーリャ王フアン1世
文字数 1,447文字
1375年、アラゴン王ペドロ4世の王女レオノールと最初の結婚をした。カスティーリャとレオンの王位を継承したエンリケ3世、母方からアラゴンとシチリア王位を継承したフェルナンド1世は、レオノールとの間の子である。
ポルトガルの王女ベアトリスはポルトガル王フェルナンド1世と王妃レオノール・テレス・デ・メネセスの長女として生まれました。王妃レオノール・テレスは平民出身で人妻であったのをフェルナンド1世が横恋慕して強引に離婚させて結婚したようです。2人の間の子はベアトリス王女以外は夭逝してベアトリスが後継者となっていました。
翌1382年に、フェルナンド1世が死去すると、その娘婿である所以を理由にしてポルトガルに侵攻し、その領土支配と王位継承を目論んだ。しかし1385年、アルジェバロータの戦いでフェルナンド1世の庶弟に当たるジョアン1世(大王)の前に大敗を喫してしまった。
さらにかって父エンリケ2世と王位を争ったペドロ1世(残虐王)の残党らによるクーデター計画まで発覚することとなる。これに対してフアン1世はペドロ1世の孫娘カタリナ(ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘キャサリン)を自身の王太子エンリケと結婚させることや、フランスの支援を得ることで持ち直した。