第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラス(1)

文字数 1,172文字

スコットランドで反ボスウェル派貴族の中心となった第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスについて紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラス(1516年頃ー1581年)は、スコットランドの貴族・政治家。
プロテスタントの改革派貴族の一人であり、メアリー女王を王位から追い、1572年にはスコットランド王ジェイムズ6世の摂政となる。権勢をふるったが、カトリックの初代レノックス公爵エズメ・ステュワートの奸計により失脚し処刑された。
え、処刑されてしまうのですか?
スコットランドは本当に恐ろしい国です。
1516年頃、サー・ジョージ・ダグラス(第5代アンガス伯アーチボルド・ダグラスの孫)とその妻エリザベス・ダグラスの次男として生まれる。兄に第7代アンガス伯位を継承するデイヴィッド・ダグラスがいる。
1543年3月に一族の第3代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスの娘エリザベスと結婚。翌4月に3代モートン伯はモートン伯爵位が彼(その次に兄の7代アンガス伯)に継承できるよう王室の許可も得て処理した。
1548年に3代モートン伯が死去。彼のモートン伯位継承は1564年に国王に確認され、ついで1567年のスコットランド議会の立法で定められた。
モートン伯位の継承はスムーズに行われましたね。
1552年にスコットランド枢密顧問官に列する。プロテスタント貴族として名を馳せ、1557年にはプロテスタント擁護・カトリック打倒を誓った第一次盟約に署名している。改革派貴族として摂政メアリ・オブ・ギーズのカトリック政策に反対した。
はっきりとプロテスタントの信念を持って動いていたわけですね。
1561年にフランスから帰国したメアリー女王はカトリックながらプロテスタントのモートン伯を重用し、1563年から1566年にかけてスコットランド大法官に任じられた。しかし結局信仰の違いから徐々に女王に批判的になり、1566年には王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワートと結託して女王の寵臣デイヴィッド・リッツィオの殺害に積極的に関与した。
酷いですね。ダーンリー卿を止めるどころか積極的に殺害に関与していたなんて・・・神やキリストは人を殺したり傷つけたりすることを禁じていたはずです。でも自分が有利になるためには人を殺すこともためらわず、罪の意識もない、恐ろしいことです。
女王とボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンが結婚するとそれに反対し、反乱貴族の一人として翌1567年のカーベリーヒルの戦いや1568年のラングサイドの戦いに参戦し、女王軍を撃破した。これにより女王はイングランドへ亡命した(後にイングランドで処刑される)
もし第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスがいなかったら、スコットランドとイングランドの歴史はかなり違っていたと思います。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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