第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラス(1)
文字数 1,172文字
プロテスタントの改革派貴族の一人であり、メアリー女王を王位から追い、1572年にはスコットランド王ジェイムズ6世の摂政となる。権勢をふるったが、カトリックの初代レノックス公爵エズメ・ステュワートの奸計により失脚し処刑された。
1552年にスコットランド枢密顧問官に列する。プロテスタント貴族として名を馳せ、1557年にはプロテスタント擁護・カトリック打倒を誓った第一次盟約に署名している。改革派貴族として摂政メアリ・オブ・ギーズのカトリック政策に反対した。
1561年にフランスから帰国したメアリー女王はカトリックながらプロテスタントのモートン伯を重用し、1563年から1566年にかけてスコットランド大法官に任じられた。しかし結局信仰の違いから徐々に女王に批判的になり、1566年には王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワートと結託して女王の寵臣デイヴィッド・リッツィオの殺害に積極的に関与した。
酷いですね。ダーンリー卿を止めるどころか積極的に殺害に関与していたなんて・・・神やキリストは人を殺したり傷つけたりすることを禁じていたはずです。でも自分が有利になるためには人を殺すこともためらわず、罪の意識もない、恐ろしいことです。
女王とボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンが結婚するとそれに反対し、反乱貴族の一人として翌1567年のカーベリーヒルの戦いや1568年のラングサイドの戦いに参戦し、女王軍を撃破した。これにより女王はイングランドへ亡命した(後にイングランドで処刑される)