ニコラウス・コペルニクス(18)
文字数 851文字
しかし、1616年、ガリレオ・ガリレイに対する裁判が始まる直前に、『天球の回転について』は、ローマ教皇庁から閲覧一時停止の措置がとられた。これは、地球が動いているというその著書の内容が、『聖書』に反するとされたためである。(因みに「聖書」には天動説が載っているわけではなく「初めに、神は天地を創造された」という記述があるだけである。「ヨシュア記」か「士師記」にイスラエル人が戦っている間神は太陽を天空に留めた=ふつうは動いている、という記事がある)ただし、禁書にはならず、純粋に数学的な仮定であるという注釈をつけ、数年後に再び閲覧が許可されるようになった。
コペルニクスが生きていた時の教皇クレメンス7世はコペルニクスの考えを支持していたのに、なぜその後かなり過ぎてから教皇庁はコペルニクスの考えを危険と判断したのでしょうか?教皇の個人的な考えの違いだけでなく、カトリックとプロテスタントの争いが激しくなる中で、教皇庁がより厳しい考え方をするようになったのですか?
アメリカ合衆国の科学関連のゴンゾー・ジャーナリズム雑誌『オムニ』の創設者の一人であるアマチュア科学研究者ディック・テレシによると、このアイディアはアラビア自然学からの剽窃であり、また近代社会における西欧の興隆にともない、西洋中心主義および白人中心主義史観によって、非西欧文明圏の影響を故意に見落としてきたことがあるとしている。
医学の歴史などを見ても、実際にはイスラム社会の中でギリシャ・ローマの古典、特にガレノスの本などが翻訳され伝えられてきた、またアヴィセンナのような偉大な医者が出ているにも関わらず、そうしたことは西洋中心主義の中では重要視されてこなかったと感じました。