フィオーレのヨアキム(1)

文字数 940文字

ボニファティウス8世の説明でフィオーレのヨアキムという名前が出てきたので調べてみました。作品集は下の画像から入ってください。
これは15世紀の木版画だそうです。
フィオーレのヨアキム(1135年ー1202年)は中世イタリアの神秘思想家、キリスト教神学者。チェーリコの富裕な公証人の家庭に生まれる。コゼンツァにある学校に通い、その市の司法の仕事に就く。
コゼンツァはハインリヒ7世が埋葬された場所です。ハインリヒ7世が生まれたのは1211年ですから、ヨアキムの死後になりますが・・・僕はいつか南イタリアのコゼンツァを訪れ、ハインリヒ7世のために祈りたいと思っています。
放縦な生活をおくった後、回心して聖地エルサレムへと巡礼し、ギリシアやビザンティウムを旅行してからイタリアに帰国する。南部イタリアのルッツィにあるサンブチーナ修道院に数年間を過ごし、レンデとコゼンツァを中心に伝導を始めた。カタンザーロに近いコルタレのシトー会に加入し、修道士として誓約する。コルタレの修道院長に選ばれたが、数年後に孤独を欲して1181年に職務を解かれるようルキウス3世に願い許される。
せっかく修道院長になっているのに、わざわざその職務を解いてもらうように教皇に願い出るなんて随分変わった人ですね。
ふたたび放浪の旅に出て、ロンバルディアをへて1186年にヴェローナに達し、そこでウルバヌス3世に謁見を賜る。そこから南イタリアに帰るとヨアキムの周囲に、聖書の不明瞭な箇所について訪ねてくる弟子たちが集まるようになる。
私はこの人がなぜそんなに何度も放浪の旅に行きたがるのか、その方が不思議です。
1191年にイギリス国王リチャード1世は、聖地イェルサレムに赴く途中、メッシーナでヨアキムと会見し、ヨアキムは自分がサラセン人をアンチ・キリストの主要な手先と考えていることを告げ、リチャードがサラディンを倒すことは疑いなしと保証したと伝えられる。
何を言えば相手が喜ぶか、よくわかっているようです。
1195年頃、彼は弟子たちを連れてコゼンツァ東方のシラ山へ行き、修道院を建てて「フィオーレ」と呼ぶ。その修道院で死ぬまで瞑想と著述に従う。
生涯を見る限り、ヨアキムが特別問題になるような思想の持主とは思えないのですけど・・・
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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