フィオーレのヨアキム(1)
文字数 940文字
コゼンツァはハインリヒ7世が埋葬された場所です。ハインリヒ7世が生まれたのは1211年ですから、ヨアキムの死後になりますが・・・僕はいつか南イタリアのコゼンツァを訪れ、ハインリヒ7世のために祈りたいと思っています。
放縦な生活をおくった後、回心して聖地エルサレムへと巡礼し、ギリシアやビザンティウムを旅行してからイタリアに帰国する。南部イタリアのルッツィにあるサンブチーナ修道院に数年間を過ごし、レンデとコゼンツァを中心に伝導を始めた。カタンザーロに近いコルタレのシトー会に加入し、修道士として誓約する。コルタレの修道院長に選ばれたが、数年後に孤独を欲して1181年に職務を解かれるようルキウス3世に願い許される。
ふたたび放浪の旅に出て、ロンバルディアをへて1186年にヴェローナに達し、そこでウルバヌス3世に謁見を賜る。そこから南イタリアに帰るとヨアキムの周囲に、聖書の不明瞭な箇所について訪ねてくる弟子たちが集まるようになる。
1191年にイギリス国王リチャード1世は、聖地イェルサレムに赴く途中、メッシーナでヨアキムと会見し、ヨアキムは自分がサラセン人をアンチ・キリストの主要な手先と考えていることを告げ、リチャードがサラディンを倒すことは疑いなしと保証したと伝えられる。