ベネディクトゥス13世(対立教皇)(4)
文字数 1,536文字
ベネディクトゥス13世は1412年のカスペの妥協でカスティーリャの王子フェルナンドを推して、彼がアラゴン王フェルナンド1世に選出されると支援を取り付けます。でも当時は3人の教皇がたつ異常事態になっていました。作品集には下の画像から入ってください。
ローマ王ジギスムントが分裂を終わらせるため、公会議招集と呼びかけて各国と交渉を重ね、ベネディクトゥス13世は返事を出さなかったが、1415年、ジギスムントの尽力で開催されたコンスタンツ公会議で3人の教皇の廃位が正式決定した。
ヨハネス23世はいろいろ悪い噂もある人ですが、メディチ家当主のジョバンニ・ディ・ビッチの支援で教皇になりますが、前の教皇アレクサンデル5世を殺したという噂もありました。メディチ銀行は教皇庁との取引で莫大な利益を上げました。コンスタンツ公会議では他にもヤン・フスが有罪とされています。
ヨハネス23世は公会議で異端、聖職売買をはじめ、海賊、殺人、強姦、男色、近親相姦など様々な罪状で告発、4年間拘禁されるが、1419年にジョバンニ(メディチ家)の尽力で釈放されます。これらの罪状は恐らく捏造されたものだと考えられています。
ベネディクトゥス13世は退位を拒否したが、ジギスムントに説得されたフェルナンド1世とカスティーリャ、ナバラ、スコットランドに見放され、フェレールにも離反され孤立、1417年に正式に廃位、新たにマルティヌス5世が選出された。こうして教会大分裂は終わりを迎えた。
以後もベネディクトゥス13世は退位を認めず、自分を見放したフェルナンド1世を1416年に亡くなるまで呪詛し続け、1417年からフェルナンド1世の息子アルフォンソ5世の庇護を受けながらバレンシアのペニスコラ城へ隠遁した。1422年に4人枢機卿を任命して後継者選出を命じ、1423年に亡くなるまで自身が正統の教皇だと主張していた。
95歳で亡くなっているのに、自分を見放したフェルナンド1世をずっと呪詛したとか、すごいパワーですよね。結局フェルナンド1世よりも長生きしてアルフォンソ5世の世話になっている。自分が呪い続けた人間の息子の世話になっていいのかなあと・・・