神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(6)
文字数 764文字
フリードリヒ2世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
フリードリヒがローマ王位を継ぐことを恐れたインノケンティウス3世はオットーの戴冠式を強行し、オットーが帝位に就いた。
強引なオットーの即位にホーエンシュタウフェン家が反発したために、ホーエンシュタウフェン家とヴェルフ家の対立が再発し、帝国に内乱が起きる。オットーはイタリアに矛先を向けて教皇領とシチリアに侵攻し、インノケンティウス3世は報復として彼を破門、帝国の反乱を扇動した。
教皇は最初強引にオットーを神聖ローマ皇帝にしたのですよね。それなのにオットーに攻撃されると今度は彼を破門し、反乱を扇動までしています。これはもう神の意志や考えではなく、教皇自身の野心で動いています。
この処分を受けて1211年に諸侯はニュルンベルクでオットーの廃位とフリードリヒのローマ王(ドイツ王)選出を決定し、フリードリヒにはゲルマニア(ドイツ)へ向かうよう要請した。
神聖ローマ皇帝は家柄だけでなく諸侯によって選ばれ不安定な地位でもありました。そのことがハインリヒ7世の悲劇を招いたようにも思います。
フリードリヒはその前にインノケンティウス3世が出した教皇の宗主権の再確認、生まれたばかりの子ハインリヒへのシチリア王譲位という条件を呑み、1212年にアルプスを越えた。後年フリードリヒはこの激動が続いた時期を、「神によって奇跡的にもたらされたもの」だと述懐した。
フリードリヒが神聖ローマ皇帝になるまでには複雑な争いやかけひきがあったようです。
12月5日にフランクフルトでフランス王フィリップ2世と教皇の使者が見届ける中でフリードリヒはローマ王に選出され、12月9日にマインツで戴冠した。
ローマ王に選出され戴冠してしまえばそれで終わりというわけではなく、オットーとの争いは続きます。
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