神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(4)

文字数 950文字

フリードリヒ2世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
フリードリヒが生まれた当時のシチリア島は、ノルマン人王朝(オートヴィル朝)建国前から根付いていたイスラム文化とビザンティン文化、ラテン文化が融合しており、独特の文化を生み出していた。
私はシチリア島で30年間暮らしたが、シチリアほどアラブ人、ギリシャ人、ユダヤ人など様々な民族が住み文化が栄えた国は他にはないと思う。
ニコラさんはキリスト教の修道士なのにアラビア語で書かれたイスラム教徒の本もどんどん読んで翻訳していたので僕は心配でした。
様々な文化が栄えたシチリアで生まれて育ったということがフリードリヒの人生を大きく変え、そして悲劇の原因にもなっているわけですね。
インノケンティウス3世はフリードリヒの元に高位聖職者からなる家庭教師を兼ねた執権団を派遣するが、執権団が到着した時、4歳のフリードリヒはすでにラテン語を習得しており、歴史と哲学の書籍を読み始めていた。
フリードリヒは幼少の時から才能を発揮した天才ですね。
幼少のフリードリヒは自分を利用しようとする周りの党派に翻弄され、1202年から1206年の間にはマルクヴァルトの人質にもされた。人質生活の中では必需品にも欠き、同情したパレルモの市民たちはフリードリヒに食糧を分け与えた。フリードリヒはパレルモの文化の影響を受けて成長し、ラテン語・ギリシア語・アラビア語などの6つの言語を習得し、科学に強い関心を示すようになった。また、フリードリヒは肉体面においても馬術、槍術、狩猟で優れた才能を示した。
フリードリヒは才能がありながらも同時に幼少期は周囲に翻弄されていますね。
一方、帝国北部(ドイツ)ではシュヴァーベン公フィリップを支持する派閥とヴェルフ家のオットーをローマ王に推す派閥に分裂しており、それぞれの派閥に属する諸侯が互いに争っていた。1208年にフィリップが暗殺されるとインノケンティウス3世の働きかけを受けた諸侯は11月にオットーをローマ王に選出した。
ハインリヒ7世が治めたドイツは元々諸侯の争いが激しい地域でした。そして教皇の働きかけでローマ王も選出されています。ハインリヒ7世が父フリードリヒと対立した時、教皇の言葉を信じて反乱を起こしたのも無理ないと思いました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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