フィリップ4世(2)
文字数 1,013文字
フィリップ4世の治世は中世ヨーロッパ王権における一つの転換期となっており、それまで普遍性を主張してきたローマ教皇や神聖ローマ皇帝の権威が相次いで衰退した時期にあたる。フィリップ4世はこれらに代わって君主権の強化をはかり、従来の聖職者に代えて「レジスト」と称される世俗の法曹家を官僚に採用するなど官僚制度の強化に努め、中央集権化を進めて近代的な国家形成の先がけとした。
教皇と皇帝の争いはハインリヒ7世や彼の異母弟たちを不幸にしました。でも結局はどちらも権威が落ち、代わって世俗の王が力を持つようになり、聖職者ではなく世俗の法曹家を官僚に採用するようになりました。フィリップ4世は今までとは全く違う価値観を持つ王になったのです。
教皇のアヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)やテンプル騎士団の解散など従来の教会権力に対し、強大なフランス王権の存在を誇示したが、最晩年には国王に対する封建諸侯の反動が起こり、イングランド王との領土問題も未解決のまま残され、後代に課題を残した。
1294年から1299年まで続いたギュイエンヌ(アキテーヌ)の戦いでは、エドワード1世の関心がスコットランドに向けられ、フランスでの戦争は望んでいなかったため、アキテーヌ公としてフランス王に臣従することとガスコーニュの確保で和睦した。
フィリップ4世の関心は、経済的に豊かだったフランドルにあった。1297年からは、フランドルの都市市民やそれを支援するイングランド王と激しく争った。フランドルは毛織物生産によりヨーロッパ経済の中心の一つとなっていたが、原料である羊毛をイングランドから輸入していたため、イングランド王との関係が深かったのである。