ポルトガル王フェルナンド1世(2)
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1381年、再びジョン・オブ・ゴーントと同盟を結び、カスティーリャへ侵攻したが、再びカスティーリャ軍に侵入された上、同年にサルテスの海戦でも敗北した。この時の講和で、最初の王妃を亡くしていたカスティーリャ王フアン1世(エンリケ2世の息子)の後添えとして、レオノール王妃との間の王女ベアトリスが嫁ぐことに同意した。王にはベアトリス王女の他に嫡子がいなかったため、契約が両国間で取り交わされた。
1383年10月22日、フェルナンド1世は嫡出男子のないまま死去した。死後、条約に基づきベアトリス王妃がポルトガル女王即位を宣言し、母レオノール・テレスが摂政となった。しかし、ベアトリスとフアン1世の結婚を取り持ったフェルナンデス・アンデイロ伯爵はレオノールの愛人であり、またポルトガル貴族の多くや国民たちはカスティーリャ人が国政の実権を握ることを嫌った。
ベアトリス(1373ー1408)はポルトガル王フェルナンド1世と王妃レオノール・テレス・デ・メネセスの長女としてコインブラで生まれた。弟たちが次々と夭折したため、フェルナンドの後継者に指名された。貴族達の中には、ベアトリス王女の父親は王ではないのではないかという声が囁かれていた。
1383年にフェルナンドが重態となると、ベアトリスの摂政として実権を握ったレオノールは、前年に最初の王妃レオノール・デ・アラゴンと死別したカスティーリャ王フアンに、ベアトリス王女との結婚とポルトガル王位の譲渡を持ちかけた。愛人アンデイロ伯爵と結託して国政を牛耳るレオノールは、カスティーリャ王を取り込むことで自らの実権の強化を図ったのである。
フェルナンド1世は1383年の10月に没した。レオノールは義理の息子フアン1世とベアトリス女王の摂政となった。しかし、外国人に実権を売る事態にポルトガル国民と貴族達は怒り、アヴィス騎士団団長でフェルナンド王の庶弟にあたるジョアンが圧倒的支持を得て反乱を起こした。