スペイン語で読むアラゴン3代目の王ペドロ1世(2)
文字数 1,740文字
さあ、今日も張り切ってスペイン語で余の1番上の兄上、ペドロ1世の生涯をたどることにしよう。
作品集のページには、下のパネルの写真から入れます。
このペドロ1世のお姿は余ペドロ2世によく似ている気がする。
そんなことはない。服装や雰囲気が違っても余の方が兄弟だから似ているはずである。
父親が同じ兄弟でも、母が違ったり育ち方が違うとかなり顔だちも違ってしまうと思います。
1086 Se casa con Inés, hija de GuillermoⅧ, Poitou y duque de Aquitania.
彼はポイトーの公爵でアキタニアの君主でもあるギレルモ8世の娘イネスと結婚する。
1086 Participa en la batalla de Sagrajas comandando las tropas aragonesas, acudiendo a la llamada de ayuda de AlfonsoⅥ, ante la llegada de los almorávides.
1086年 アルフォンソ6世の呼びかけにより、アラゴン人の軍隊を率いてムラビート朝との戦いの前のサグラハスの戦いに参加する。
1089 Participa con su padre en la toma de Monzón.
1089年 父と一緒に戦ってモンソンを手に入れる。
1094 A la muerte del rey Sancho Ramirez asciende al trono. Se consagra la Iglesia baja de San Juan de la Peña.
1094年 サンチョ・ラミレス王の死により王位につく。王はサン・フアン・デ・ラ・ペーニャの教会に埋葬された。
1095 Mayo-Junio se inicia la construcción del Pueyo de Sancho.(Cerro de San Jorge)
1095年 5月から6月にプエヨ・デ・サンチョの建設を始める(サン・ホルヘの丘)
1096 Mayo‐Junio se inicia el cerco a Wasqua.
1096 Noviembre. Tras la batalla de Alcoraz Huesca capitula.
1096年 11月、アルコラスの戦闘の後、ウエスカと協定を結ぶ。
1096 El 17 de diciembre dona el templo de San Pedro, iglesia mozárabe, al abad Frotardo Saint Pons de Thomieres.
1096年 12月17日、モサラベ建築のサン・ペドロ教会を寄贈し、フロタルド・デ・サイント・ポンス・デ・トミエレスを主任司祭にした。
1097 Domingo 16 de Agosto. Tras la muerte de su primera mujer, se casa con Berta, posiblemente italiana, pero emparentada con la casa de Aquitania.
1097年 8月16日日曜日、最初の妻の死後、ベルタと結婚する。彼女はおそらくイタリア人であるが、アキタニア家と親戚でもある。
この時代の王様は、10代で軍隊を任されて戦いに行っているのですね。
ボードゥアン4世もそうだった。みんな10代で戦争を経験している。
余は子供の時からずっと修道院に暮らしていたから剣を持ったこともなかった。そんな余に戦闘能力を期待するのがおかしい。
余は父上と協力して一緒に戦うということは一度もなかった。もしそのような機会があれば、父上との関係も変わっていたかもしれない。
ペドロ兄上は再婚もしている。それが戦いばかりで女性に興味のなかったアルフォンソ兄上との大きな違いだ。
ペドロ1世は本当に理想的な王様だったようです。でも世継ぎとなるはずの子が早く亡くなったことで、アラゴンの運命は大きく変わります。
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