初代マリ伯爵ジェームズ・ステュアート(2)

文字数 1,176文字

初代マリ伯爵ジェームズ・ステュアートについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
しかし、メアリーがダーンリー卿ヘンリー・ステュアートと結婚しようとすると、マリ伯は自分の権力の低下を恐れ、イングランド大使ランドルフ卿を通じてエリザベス1世に結婚の阻止を要請した。エリザベスも、強力なイングランド王位継承権を持つダーンリー卿がメアリーと結婚することへの懸念から、ダーンリー卿にすぐさまロンドンへの帰還を命じ、ダーンリー卿の母マーガレット・ダグラスをロンドン塔に幽閉した。
マリ伯が伝えたから、エリザベスもすぐに結婚反対の動きをしたわけですか。
またマリ伯もダーンリーが父のレノックス伯マシュー・ステュアートと共謀して自分の殺害を企てていると主張し、メアリーとたびたび争いになった。しかし、メアリーとダーンリー卿は1565年7月29日に結婚した。マリ伯は、ダーンリー卿がなおも自分の命を狙っているとして、領地にひきこもった。
いろいろ反対があったにもかかわらず、メアリーとダーンリーは強引に結婚してしまったのですね。
この頃、マリ伯はメアリーとダーンリー卿を誘拐し、ダーンリー卿をスコットランドから追放し、自分が政権を取ることを狙っていたという説がある。1565年8月1日、マリ伯はエリザベスの援助を取り付け、メアリーに叛乱を起こした。メアリーとダーンリー卿は戦場に赴いた。結局、期待していたイングランドからの援軍は現れず、マリ伯はスコットランド南部でボスウェル伯率いるスコットランド軍に敗北し、イングランドに亡命した。
メアリーとダーンリー卿が結婚したのが1565年7月29日、マリ伯が反乱を起こしたのは8月1日で、結婚してすぐですね。
ボスウェル伯は後にメアリーの3人目の夫になります。
1566年3月9日の夜中、ホリールードハウス宮殿でダーンリー卿やルースベン・モートンなどのスコットランド貴族達が組んで、メアリーの秘書のデイヴィッド・リッチオを殺害した。この事件の首謀者はマリ伯だったという説がある。確かにマリ伯は、メアリーに関する数々の陰謀による事件が起きた時、いつも現場に居合わせず、姿を消している。この後、自分の寵臣を殺されたメアリーと、その寵臣殺害に関わったダーンリー卿の仲は冷却していった。一方、マリ伯はメアリーから反逆罪を許され、スコットランド帰国が叶い、再び重用されることになった。
リッチオ殺害事件の首謀者がマリ伯だとしたら恐ろしいことですけど、でもこの事件があってマリ伯の立場は有利になっています。
スコットランドやイングランドの王家は陰謀で王やその近くの人物が殺されることがよくあって恐ろしいです。アラゴンではこのようなことはまずありませんでした。王に対する不満はあっても悪口を言われるくらいで、王が殺されるということはありませんでした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色