アルマニャック伯ベルナール7世(2)

文字数 1,057文字

アルマニャック伯ベルナール7世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1415年のアジャンクールの戦いでオルレアン公らアルマニャック派の幹部がイングランド軍に殺害されるか捕虜となり、同年と翌1416年に王太子とベリー公が相次いで亡くなると、ベルナール7世はアルマニャック派の筆頭としてパリで独裁を行うようになったため、1417年にパリから追放した王妃イザボーが無怖公と結び政府は分裂、パリはブルゴーニュ派に補給を絶たれ市民が食糧難に苦しみ、ブルゴーニュ派への粛清でベルナール7世に対する市民の不満は高まった。
アンジャクールの戦いがフランスの歴史を大きく変えていますね。
余は1398年にフランス王シャルル6世と教会大分裂の方針を話し合うフランスの会談に出席したが、酔いつぶれて余の醜態だけが知られることになってしまった。父上カール4世が憧れ、余も滞在したフランスのパリがそのような状態になってしまうとは・・・
1418年5月29日、アルマニャック派の支配に不満を持つパリ市民がブルゴーニュ派の一隊を迎え入れ、ベルナール7世は抵抗できずに捕らえられ6月12日に殺害された。
私の最初の妻マルタはアルマニャック伯ジャン1世の娘ですから、ベルナール7世は義理の甥にあたります。その彼がこのような状況の中で殺されたなんて許せないです。私はフランスが大好きで、2人の妻はフランス人です。そのフランスの都パリでこのような事件が起きるなんて信じられないし、無怖公は悪魔のような男です。
その後パリはブルゴーニュ派に制圧され、再びブルゴーニュ派の支配する所となったが、シャルル王太子(後のシャルル7世)は脱出してアルマニャック派に擁立され、ブルゴーニュ派への抵抗を続けていった。
王太子のシャルルすら命の危険を感じてパリを脱出した、アルマニャック派とブルゴーニュ派の争いは大変なことになってますね。
ベルナール7世は従妹でベリー公ジャン1世の娘ボンヌ・ド・ベリーと結婚し、以下の子女をもうけた。

・ボンヌ(1393年ー?)オルレアン公シャルルと結婚

・ジャン4世(1396年ー1450年)アルマニャック伯

・マリー(1397年ー1404年)

・ベルナール(1400年ー1456年)パルディアック伯、ヌムール伯、ラ・マルシュ伯

・アンヌ(1402年ー?)1417年、ドルー伯シャルル2世と結婚

・ジャンヌ(1403年ー?)

・ベアトリス(1406年ー?)

次回からはブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)の父フィリップ2世(豪胆公)を話題にします。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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