ティコ・ブラーエ(23)

文字数 1,062文字

ティコ・ブラーエについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
地平線近くや天頂方向で観測された天体は大気による屈折のために実際よりも高い位置に見える。ティコによる最も重要な革新の1つは、この予想される誤差を修正するための体系的な表を初めて作り上げ公表したことである。しかし、当時は45度以上の高度では太陽位置に屈折の効果は無く、20度より高い位置の星の光にも屈折は無いと想定されていた。
ティコ・ブラーエのすごいところは当時の考え方を大きく超えているところです。
彼の多量の天文データの構築には膨大な数の乗算を行う必要があり、そのためにティコはprosthaphaereesisという新しい技術を大いに活用していた。これは対数が考案されるより前に使用されていた、積和の公式に基づいて三角比の積の近似値を得るアルゴリズムである。
彼は数学の知識もかなりあったようです。
ティコの宇宙体系を表した図になります。
ティコはコペルニクスを賞賛し、デンマークで初めてコペルニクスの理論を教えたが、自身が基盤を置いていたアリストテレス物理学の基本法則とコペルニクス理論を整合させることができなかった。
それだけアリストテレスの影響は大きかったということですね。
また、彼はコペルニクスが理論を構築する上で使用した観測データに対しても批判的であり、それが大きな誤差範囲を持っていることを正しく認識していた。ティコはコペルニクス体系の代わりに「地球・太陽中心(geoheliocentric)」体系を提案した。これは太陽と月が地球を周回し、同時に惑星が太陽を周回するというものであった。ティコの体系はコペルニクス体系と同じ観測・計算上の利点を持ち、またどちらの体系も金星の満ち欠けという観測上の事実(当時まだガリレオ・ガリレイによってこれが発見される前であるが)と整合させることもできる。ティコの体系は。古いモデルに不満を抱きつつも太陽中心説と地動説を受け入れたがらない天文学者たちに安全な立ち位置を提供した。
ティコの観測データでは、彼が提案した「地球・太陽中心説」を崩すことはできないのですね。
そして1616年にローマ教皇庁が太陽中心説は哲学と太陽中心説は哲学と聖書の双方に背反しており事実とは関係しない計算上の利便性のためにのみ議論可能であると宣言すると、ティコ体系はかなりの支持を獲得した。
1616年はティコの死後になりますが、教皇庁が太陽中心説を否定してティコの説が支持されたことで、逆に太陽中心説で迫害された人もかなりいると思います。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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