フレゼリク2世(デンマーク王)(2)

文字数 840文字

フレゼリク2世(デンマーク王)についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
人としてのフレゼリクは向こう見ずで自惚れ深く、勇敢で野心的といわれる。狩猟や酒、宴会を好み、亡くなった時には酒が原因との意見が大勢を占めた。
なんかペドロ2世のような人ですね。
1574年から1585年にヘルシンゲルのクロンボー城を再建した。また1567年にノルウェーにフレドリクスタを建設するなど、デンマークにとっては成長の時代であった。フレゼリクはまた、有名な天文学者ティコ・ブラーエの主要な後援者でもあった。
ティコ・ブラーエは占星術師として支援を受け、領土の島に天体観測所を作りました。20年間の正確な観測記録を持って神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の宮廷に招かれてケプラーと出会い、ケプラーはその観測記録を受け継いだことで、「ケプラーの法則」を発見します。
フレゼリク2世は占星術師のティコ・ブラーエを支援したのに、結果として天文学に大きな貢献をしているのですね。
1588年4月4日に逝去、亡骸はロスキレ大聖堂に葬られた、王位は長男のクリスチャン4世が継いだ。
フレゼリク2世は、1572年にゾフィー・フォン・メクレンブルクと結婚し、7人の子供をもうけた。

・エリサベト(1573年ー1626年)1590年、ブラウンシュバイク=ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ・ユリウスと結婚

・アンナ(1574年ー1619年)1589年11月23日、スコットランド王ジェームズ6世(のちのイングランド王ジェームズ1世)と結婚

・クリスチャン4世(1577年ー1648年)デンマークとノルウェーの王

・ウルリク(1578年ー1624年)

・アウグスタ(1580年ー1639年)1596年8月30日、ホルシュタイン・ゴットルプ公ヨハン・アドルフと結婚

・ヘゼヴィ(1581年ー1641年)1602年9月12日、ザクセン選帝侯クリスティアン2世と結婚

・ハンス(1583年ー1602年)

次回からティコ・ブラーエについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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