ベルトラード・ド・モンフォール(2)
文字数 849文字
フィリップ1世には王妃ベルト・ド・オランドがいたが、ベルトを尼僧院に押し込めてベルトラードと再婚した。幽閉されたベルトは失意の中1093年に死去したが、フィリップ1世は1094年にリヨン司教によって破門された。さらに1095年のクレルモン教会会議において教皇ウルバヌス2世が正式に破門を宣告した。その後、破門が解かれたあったが、フィリップ1世はベルトラードと復縁し、1104年まで離婚と破門が繰り返された。
フィリップ1世はなぜ無理やりベルトラードと結婚しようとしたのでしょうか?彼女の境遇に同情したならばこっそり匿って密かに会うことだってできたはずです。結婚したことで教皇から破門され、フィリップ1世自身が失うものも大きかったと思います。
ペドロ2世は南フランスでの争いの中、親族に味方したのがカタリ派に味方したとされ、教皇に破門されて死後教会の決まった場所に埋葬されることも許されませんでした。当時のキリスト教社会では破門は最も大きな罰として考えられていたのに、その危険を犯してまでベルトラードと結婚したフィリップ1世の気持ちはわかりません。