スペイン語で読むアラゴン2代目の王サンチョ・ラミレス(2)
文字数 1,804文字
余の父上、アラゴン2代目の王サンチョ・ラミレスの生涯について、さあ、今日も元気よく始めよう!
1043 Sancho nace, fruto del primer matrimonio del rey RamiroⅠ con Emersinda de Bigorre. El conde sancho Galindez sera su eitán.
1043年 サンチョ・ラミレスがラミロ1世とビゴレのエメルシンダとの間の長男として生まれる。サンチョ・ガリンデス伯爵が彼の称号である。
1058 Se casa en primeras nupcias con Isabel de Urgell, hija de Ermengol conde de Urgell.
1058年 ウルジェルのエルメンゴル伯爵の娘、イサベル・デ・ウルジェルと最初の結婚をする。
1062 Gobiernas parte del reino en nombre de su padre el rey.
1062年 王である父の名前で王国の1部を統治する。
1064 A la muerte de RamiroⅠ, su padre, le sucede en el reino.
1064年 彼の父ラミロ1世の死により、王国を受け継ぐ。
1067 Inicia su primer avance militar hacia el sur con la conquista de Alquezar.
1067年 征服したアルケサールの南まで軍隊を進める。
1068 lleva a cabo el primer viaje peregrinación a Roma, donde establece sólidas relaciones con el papado y con Francia.
1068年 ローマへの最初の巡礼の旅を行い、そこで教皇とフランスとの関係を強固なものとする。
1070 El rey contrae segundas nupicias con Fericia de Roucy biznieta del rey de Francia Roberto el Piadoso y hermana del conde Eblo de Roucy.
1070年 王はフランス王ロベルト・エル・ピアドソのひ孫でエブロデ・デ・ローシー伯爵の妹であるフェリシア・デ・ローシーと2度目の結婚をする。
ラミロ2世がフランス人の女性と結婚したのは、お母さんがフランス王家の血を引いていて、フランスへの強い憧れがあったのですか?
そんなものはない。ナバラやカスティーリャから王妃を娶ると面倒なことになるからフランス人と結婚しただけだ。
でもアラゴンの王様がフランス人と結婚している割合は高いですよ。
確かに余もフランス人と結婚している。領土が目的だったが・・・
私も2回結婚していますが、2人ともフランス人です。
アラゴン王家でフランス人の血の割合はどれくらい高いのか、ちょっと考えてみました。まず、ラミロ2世の娘ペトロニーラはアラゴン50%、フランス50%になります。
続きを聞いて下さい。アルフォンソ2世にはカタルーニャ(バルセロナ)の血が入っているから、アラゴン25%、フランス25%、カタルーニャ50%になります。
そしてペドロ2世やコンスタンサの場合は、アラゴン12,5%、フランス12,5%、カタルーニャ25%、カスティーリャ50%になります。
つまり余は母上からアラゴン、フランス、カタルーニャ、カスティーリャの血を受け継いでいることになるのか。
そうです。そしてペドロ2世はフランス人と結婚しているので、ハイメ1世はフランスの血が1番濃いことになります。面倒なのでこれ以上計算しませんが・・・
フランス人と結婚したのは領土が欲しいからで、別に血の割合など考えていない。
我々の時代はまだ遺伝ということは知られてなかったが、先祖が同じ家との結婚が続くことの弊害は知られていた。アラゴン王家の強さの秘密は他国との婚姻を繰り返したからかもしれない。
よくわからにゃいが、そういうこともあるのかにゃー。
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