クレシーの戦い(1)
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クレシーの戦いではエドワード3世率いる少数のイングランド軍(約1万2千人)がフィリップ6世率いるフランス軍(約3万ー4万人)を打ち破った。歴史家はこの戦いを騎士道華やかなりし時代の終焉の始まりを告げるものだったと位置づける。戦場は保存されて観光名所となっている。
1340年6月23日にスロイスの海戦で勝利したイングランドだが、フランドル上陸後はフランス軍が大規模な会戦を避けたために、それ以上の戦果は挙げられず2年間の休戦をした。その間にブルターニュ継承戦争が始まり、両者の代理戦争の様相を示したが、1345年にエドワード3世は戦争を再開しアキテーヌにダービー伯ヘンリー率いる軍勢を送った。
エドワード3世は1346年には自ら兵を率いて手薄になっていたノルマンディーに上陸し、カーン等を攻略した後、パリ近くまで侵攻した。しかしフィリップ6世はアキテーヌからも兵を呼び返しサンドニに大軍を集結しつつあった。
これに気づいたエドワード3世はフランドルに撤退するため北上を開始した。フランス軍はこれを追ったが、イングランド軍は浅瀬を防衛していたフランス分隊を撃破してソンム川を越えることに成功し、戦闘に有利な地形であるクレシーでフランス軍を待ち受けた。