クレシーの戦い(1)

文字数 981文字

カール4世の父、ヨハン・フォン・ルクセンブルクが戦死したクレシーの戦いについて調べてみました。作品集は下の画像から入ってください。
クレシーの戦いは1346年8月26日に百年戦争の一環としてフランス北部、港町カレーの南にあるクレシー=アン=ポンティユー近郊で行われた戦いである。
私が生まれたのは1350年の12月27日なのでそれよりも前になります。
クレシーの戦いではエドワード3世率いる少数のイングランド軍(約1万2千人)がフィリップ6世率いるフランス軍(約3万ー4万人)を打ち破った。歴史家はこの戦いを騎士道華やかなりし時代の終焉の始まりを告げるものだったと位置づける。戦場は保存されて観光名所となっている。
フランス軍の方がかなり人数が多いですね。
1340年6月23日にスロイスの海戦で勝利したイングランドだが、フランドル上陸後はフランス軍が大規模な会戦を避けたために、それ以上の戦果は挙げられず2年間の休戦をした。その間にブルターニュ継承戦争が始まり、両者の代理戦争の様相を示したが、1345年にエドワード3世は戦争を再開しアキテーヌにダービー伯ヘンリー率いる軍勢を送った。
ブルターニュ継承戦争が、きっかけになっているのですね。
エドワード3世は1346年には自ら兵を率いて手薄になっていたノルマンディーに上陸し、カーン等を攻略した後、パリ近くまで侵攻した。しかしフィリップ6世はアキテーヌからも兵を呼び返しサンドニに大軍を集結しつつあった。
エドワード3世は本当にしつこくて、隙あらばフランスに攻めてくる。
まあエドワード3世の人生も複雑で、母イザベラがフランス王フィリップ4世の王女という理由でフランスの王位を要求しているのです。
フィリップ4世ってテンプル騎士団を解散させた王様ですよね。顔はいいかもしれないけど怖ろしい人です。
これに気づいたエドワード3世はフランドルに撤退するため北上を開始した。フランス軍はこれを追ったが、イングランド軍は浅瀬を防衛していたフランス分隊を撃破してソンム川を越えることに成功し、戦闘に有利な地形であるクレシーでフランス軍を待ち受けた。
この戦いでも地形が重要になってくるのか。
急ぎ追いかけてきたフィリップ6世は敵が待ち構えているのを見て、休息し翌朝の戦闘を考えたが、大軍のため統制が取れず混乱が生じ始めたため当日の戦闘を決意した。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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