マーガレット・オブ・ヨーク(1)

文字数 1,272文字

マリー・ド・ブルゴーニュの義母マーガレット・オブ・ヨークについて紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
マーガレット・オブ・ヨーク(1446年ー1503年)はヨーク公リチャードとセシリー・ネヴィルの娘でイングランド王エドワード4世の妹、リチャード3世の姉。
イングランドはちょうど薔薇戦争が起きた頃ですよね。
ブルゴーニュ公シャルル(突進公)の3番目の妃であり、結婚してからはマーガレット・オブ・バーガンディ、マルグリット・ド・ブルゴーニュとして知られる。
イングランド王国、ノーサンプトンシャーのフォザリンゲイ城でヨーク公リチャードとセシリー・ネヴィルの第7子として誕生。

1455年5月、マーガレットが9歳の時、父ヨーク公リチャードが、ランカスター朝のイングランド王ヘンリー6世に叛乱を起こし、薔薇戦争が勃発する。1460年に父は戦死し、1461年に兄エドワード4世が王座に就いた。

大変な経験をしているのですね。
一連の内乱において、ブルゴーニュ公フィリップ(善良公)はヨーク派を支持していた。一方、フランス王国の国王ルイ11世はランカスター派を支持していた。フィリップ善良公は1467年に逝去し、公位は嫡男シャルルが継承した。1468年にランカスター派が降伏し、薔薇戦争における第一次内乱は終息した。
イングランド、フランス、ブルゴーニュの関係はゴチャゴチャしていてわかりにくいですね。
こうした中、イングランド王国とブルゴーニュ公国は、フランス王国に対峙するため、政治・軍事における同盟関係を必要とした。また、イングランド(羊毛の生産)とブルゴーニュ(毛織物産業)には商品経済関係が成立していた。しかし、15世紀を通じ、イングランド王とブルゴーニュ公は1462年から65年をピークに、経済的対立を深めていた。そこで、国際的な商人共同体も、両国の婚姻に基づく結びつきの強化を支持した。
イングランドとブルゴーニュは本当に複雑な関係にあったのですね。
一方、フランス王家(ヴァロワ家)側にも、フィリップ善良公が死にゆく1467年頃、ウォリック伯リチャード・ネヴィルに仲介させて、ルイ11世とヨーク公リチャードをルーアンで引き合わせる計画があった。この対面では、ブルゴーニュ公領の分割と、マーガレットとブレス伯フィリッポ(後サヴォイア公)を縁組させることが話し合われる予定だった。フィリッポの妹シャルロットはルイ11世妃であり、サヴォイア家を通じ、イングランドのヨーク家とフランスのヴァロワ家を繋ぐ縁談であった。
フランス側もいろいろ考えていますね。
しかし、フランス側の画策に先立つ1465年、シャルル突進公の前妻イザベルの逝去後、シャルルは既にロンドンに使者を送っており、エドワード4世はウォリック伯を介してシャルルとマーガレット、そしてシャルルの一人娘マリーと王弟クラレンス公ジョージとの二重結婚を提案した。
結婚前からいろいろあって大変そうです。
1467年にシャルルとマーガレットの結婚が決まり、これと同時に持参金や交易についても取り決めが行われた。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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