ピエール・コーション(4)
文字数 1,100文字
3月10日の審理から非公開となった。捕虜になったことについての審問では、ジャンヌは「捕虜になる正確な日時を知っていたらその日には積極的には出撃しなかったでしょう。とはいっても、どうなろうとも『声』の命じるままに振る舞ったでしょう。捕虜になることはどうしても避けられないといつも聞かされていました」と証言した。3月13日の審理で「どうして神は貴女を選んだと思うか」と質問されると「国王の敵を国外に追い払う者が、ただの娘であるほうが神様の思し召しにかなっているのです」と答えた。
3月27日から再び審理は公開となったが、3月31日には彼女の独房で日公開審理を行った。ここでコーションは教会への服従について主に質問した。ジャンヌは「私にできないことを命じられなければ、地上の教会の決定に服します。私にできないことというのは、私がこの裁判で神が私にお示しになった啓示について私がしたり、言ったり、宣言したりしたことを取り消せということです。私は何があってもそれは取り消すつもりはありません。主に命じられたことを、現世の人間に言われたからとしないでいることはできないのです」と答えた。
4月5日にコーションは裁判で明らかになった罪状として12箇条を作成した。予知予見や男装について聖女らの命令を盾にしていること、書簡の署名に「イエス・マリア」の文字と十字のしるしを使ったこと、虜囚になっていた時に塔から飛び降りた自殺未遂の件、処女性を誇る傲慢さ、神や聖女がフランス人だけを祝福していると思っている党派性、『声』への礼拝などが列挙された。そして総論として最後の第12条で、現世の全ての者が服従しなければならない教会の統制をないがしろにしていることを批判した。これは「教会に服従しないジャンヌは教会の外におく」ことを結論したものであった。これによりジャンヌの運命はこのまま異端として処刑されるか、回心して教会に復帰するかの2つに1つとなったのである。