カルロス・デ・ビアナ(1)

文字数 1,332文字

今日はフェルナンドカトリック王の異母兄、カルロス・デ・ビアナについて話題にします。作品集には下の肖像画から中に入ってください。
カルロス・デ・ビアナ(1421ー1461)はアラゴン王フアン2世とナバラ女王ブランカ1世の長男として生まれました。異母弟のフェルナンド2世が生まれたのは1452年なので31歳年は離れています。
それだけ異母弟と年が離れていてしかもナバラ女王の子でもあるなら、カルロスの地位は安泰と思われるのだが・・・
カルロスは1423年、2歳の時に母方の祖父であるカルロス3世からビアナ公に叙され、ナバラ王位継承者に指名されました。
それはもう当然だ。娘を女王として後継者にしても、孫が生まれているならば次の王はその孫にしたい。
カルロスは1439年、18歳の時にクレーフェ公女アグネスと結婚したが、子供は得られませんでした。
王家の者にとって跡継ぎとなる子供がいない、あるいは子供に先立たれるというのが1番大きな痛手となります。私も弟のマルティンも跡継ぎさえいれば後の時代の評価は変わっていたと思います。
ナバラ王カルロス3世の王女ブランカはアラゴン王フェルナンド1世の王子フアンと2度目の結婚をしました。結婚にあたりブランカがフアンよりも先に亡くなった場合は2人の間の年長の男子がナバラ王位を継承することが取り決められていました。
それも当然の話だ。余の娘ペトロニーラと結婚したバルセロナ伯は自身がアラゴン王と名乗ることは決してなかった。アラゴンの王位は余の孫アルフォンソ2世へと受け継がれた。
1425年にブランカがブランカ1世として即位し、フアンはナバラの共同統治王フアン2世となりました。でも1441年にブランカ1世が亡くなると、フアン2世は契約を守らず、20歳になっていたカルロスに王位は譲りませんでした。
それは酷いですね。約束を守らないで王位を譲らなかったというのは・・・
フアン2世は兄アルフォンソ5世がいたために当時はまだアラゴン王ではありませんでした。そして父と子でナバラ王位を争うことになり、貴族も分かれて争うようになりました。
王位を譲りたくないばかりに実の息子と争うとは愚かなことです。私の子は次々と死んでしまい、娘2人しか育ちませんでした。もし私の息子が1人でも育ってくれたら、私は彼をとても大切にしたでしょうし、王国の政治についてももっと真剣に考えていたと思います。
カルロス王子は1452年のアイバルの戦いで敗れ、拘束されるが釈放されました。フアン2世はカルロス王子を合法的に廃嫡しようと目論み、カルロス王子の妹レオノール王女をナバラ王位継承者としました。
カルロス王子に同情する。余は教皇にそそのかされて反乱を起こしたが、彼の場合は正当な跡継ぎだった。
カルロス王子はナポリ王国へ向かい、伯父であるアラゴン王アルフォンソ5世に仲介を頼みました。でもアルフォンソ5世が1458年に亡くなったため、交渉は実を結びませんでした。父フアン2世がアラゴン王として即位してしまったのです。
有名なフェルナンド2世カトリック王の異母兄にこんな壮絶な人生があったなんて知らなかったです。
長くなったので続きは次回にします。アラゴン王フアン2世、かなり怖ろしいです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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