クレメンス6世(2)

文字数 1,160文字

クレメンス6世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1346年、ヨハネス22世の代から対立している神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世を廃位、カール4世を皇帝に擁立した。
カール4世は余の父上である。父上はフランスにいた時の家庭教師でもあったクレメンス6世に深く感謝をしていた。
でもクレメンス6世がカール4世を神聖ローマ皇帝として擁立したのは、家庭教師をした教え子を支えるというよりも神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世との対立があったからですよね。カール4世はとても運がよかったと思います。
1350年の聖年には多くの巡礼者がローマを訪れたが、教皇がローマに赴くことはなかった。アヴィニョン捕囚が終わる時期は、1370年にクレメンス6世と同名の甥がグレゴリウス11世に選出され、ローマに帰還した1377年である。
結局教皇庁がアヴィニョンにある間はフランスの影響を強く受け、フランス人の教皇が続いていました。だからこそ教皇が帰還した時にローマの市民は次の教皇はイタリア人から出したいと圧力をかけ、それが教会大分裂へと繋がっていくのですね。
なお、1348年1月頃からアヴィニョンはペスト禍にさらされており、この間に彼は新しい墓地のための土地を買い入れ、瀕死の病人全てに赦免を与え、病気の原因を探るために医師による死体解剖を許可し、ユダヤ人迫害を弾劾する勅書を出した。
この時のクレメンス6世の行動は立派だと思います。ペストが広がり命が助からなくても、赦免が与えられれば穏やかに死を迎えることができます。解剖が許可されたことで、この時すぐにペストの原因はわからなくても、医学は進歩してたくさんの病気の原因がわかるようになりました。ペストが流行った時にはユダヤ人の迫害も激しくなりましたが、そうしたことを弾劾する勅書も出しています。教皇として贅沢したり堕落した部分もありますが、ペストが流行するという大変な状況の中で、教皇として何をするのがよいのか考え、それを実行しています。こうしたことができるのは、やっぱり幅広い教養、知識を持っていたからでしょうか?
しかしなすすべもなく、同年5月にはエトワール・シュル・ローヌ(現ドローム県、アヴィニョンより北北東)に避難した。
ペストは1347年10月に中央アジアからクリミア半島を経由してシチリア島に上陸し、またたくまに広がり、1348年にはアルプス以北のヨーロッパに伝わっています。14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人前後が死亡したそうです。
14世紀は戦乱だけでなくペストの流行もあって大変な時代だったのですね。
次回からまたブルターニュに戻って、ブルターニュ公ジャン4世の紹介をします。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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