エルサレム王アモーリー1世(5)

文字数 955文字

エルサレム王アモーリー1世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1169年10月、アモーリーは五度目にして最後のエジプト遠征を行った。彼はダミエッタを奪おうとしたが、サラディンによって撃退された。1174年7月11日、シチリア王国の海軍の支援を受けてのエジプト遠征を準備中にアモーリーは赤痢にかかって38歳で死んだ。エルサレム王の地位は13歳の息子ボードゥアン4世に引き継がれた。
このような状況の中でボードゥアン4世は13歳で王位を引き継いだのですね。その若さで複雑な状況にある王国を引き継ぐのは大変だったと思います。
アラブ人からはモッリと呼ばれたアモーリーは「御しがたい野心の持ち主」であった。この「フランクの王は英知よりも血気に富み、そして、長身と豊かな髪に恵まれているのに、肝心の威厳に欠けていた。肩幅が異常に狭く、長くて騒々しい笑いの発作をよく起こして側近たちを悩ませたし、とくに吃音がひどくて、他人との意思の疎通がままならなかった。ただ、エジプトの征服という、彼を駆り立ててやまぬ執念と、飽くことなきその追求とがモッリをひとかどの人物に仕上げる」

また、ヌールッディーンの敬虔な君主であるという宣伝に影響され、自らも「宗教上の勉学に励み、正義に心を配る、真面目で、敬虔な人物であるとのイメージを広めようとしていた」ともいう。

アモーリー1世が兄ボードゥアン3世や息子のボードゥアン4世とはイメージがかなり違うので驚いています。
1157年、エデッサ伯ジョスラン2世の娘アニェス・ド・クルトネーと結婚したが、1162年婚姻無効とされた。アニェスはその後ユーグ・ディブラン(イブラン家)と、さらにシドン領主ルノーと結婚した。

・シビーユ(1160年頃ー1190年)エルサレム女王(1186年ー1190年)

・ボードゥアン4世(1161年ー1185年)エルサレム王(1174年-1185年)

1167年、東ローマ皇帝マヌエル1世コムネノスの甥ヨハネス・ドゥーカス・コムネノスの娘マリア・コムネナと結婚した。マリアはアモーリーの死後バリアン・ディブラン(ユーグの弟)と結婚した。

・イザベル1世(1172年ー1205年)エルサレム女王(1192年ー1205年)

次回からボードゥアン4世について調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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