ティコ・ブラーエ(11)

文字数 896文字

ティコ・ブラーエについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
南側と北側の壁には大きな象限儀が取り付けられており、子午線を通過する際の高度が測定された。これを含め、観測所の機器の多くは、1598年に発行されたティコの著書『Astronomiae instauratae mechanica』に詳細が記載されている。
なんかもう何もかも凄いです。
幅75m、高さ5.5mの大きな壁でウラニボリを囲む計画であったが、これは建設されず、その代わりに高い土塁が作られた。この土塁はその後も残り、観測所があった場所の唯一の残骸となっている。ウラニボリの建物と土塁の間には、パルテールがあった。この庭は装飾的であっただけでなく、ティコの医化学実験に用いるハーブも供給していた。現在は、この場所から発見されたかティコの著書から同定された植物の種を用いて、庭が作り直されている。戸口には、彼自身の印刷工房と島の刑務所が組み入れられた。
ティコはいろいろな学問の研究をしていたようです。
壁の外側には、製紙工場に動力を供給する養殖池等があった。
観察記録を書くための紙まで用意していたのですね。
ウラニボリは非常に高額のプロジェクトで、建設には州の予算の約1%が投じられたと推計されている。
新しいプロジェクトにお金がかかるのは現代も同じです。
建設直後に、塔に設置した機器が風により容易に動くことが明らかとなった。ティコはより適した観測施設の建設に着手し、完全に地下にあり、居住スペースを持たないより小規模な施設であるスターニボリが建設された。基本的なレイアウトはウラニボリと似ており、似た形の壁で囲まれているが、囲まれている面積はずっと小さい。機器は全て地下に置かれ、上部をシャッターかドームで覆われた。
スターニボリの図です。
新しいデンマーク王クリスチャン4世からの財政支援が打ち切られ、ウラニボリとスターニボリを含むヴェン島は1597年に放棄され、ティコの死後すぐに破壊された。1950年代にスターニボリの考古学的発掘調査が行われ、観測所が復元された。スターニボリでは現在はマルチメディアショーを提供している。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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