ピエール・コーション(3)
文字数 1,371文字
第一回公開審理は2月21日から開かれた。コーションはまず「教会の教えや汝の知っている全てのことについて、問われたことに真実を述べると宣誓しなさい」とジャンヌに要求したが、彼女は「神が私に与えた啓示は我が王シャルルにしか打ち明けることはできません」と答えた。さらにコーションは主の祈りを唱えることを要求したが、彼女は告解を聞くことを条件にあげた。コーションはそれに応じなかった。
判事の一人ジャン・ボーペルが主導した2月24日の審理で「神の恩寵」に纏わる不利な質問を受けたジャンヌは「もし私が恩寵の下にないなら、このうえ神は恩寵へと私を導いて下さるのでしょう。そして恩寵の下にあるなら、神は変わらず私をお守り下さるでしょう」と答えた。裁判官たちはこの返答に呆然としたという。
2月27日の審理もボーペルの主導で行われた。この日の審理でジャンヌは啓示を受けた聖女の名前は聖カトリーヌと聖マルグリットであり、最初に姿を現したのは聖ミカエルであると証言した。男物の衣服を着たことを追及されると「この世の人に言われて男物の服を着たわけではありません。衣服にせよ何にせよ神と天使の命令以外のことは一切しておりません」と答えた。また「剣より旗の方が40倍も好きでした。戦闘に出る際には人殺しをすることがないように旗を持っていきました。だから私は誰一人殺しておりません」と証言した。
僕は天使や聖人を見たことはありませんが、そういう経験をした人は何人もいます。ジャンヌが不運だったのはそういう経験を悪意に満ちた敵の前で言わなければならなかったことで、この話から彼女を異端とするのは間違っていると思います。
3月1日の審理は裁判長コーション自らが主導した。コーションはアルマニャック伯がジャンヌに送った教会大分裂の書簡に関連して「真の教皇はいずれであると思うか」と質問したが、ジャンヌは「私に関する限りローマにおられる教皇様を信じております」と答えた。これは長年アヴィニョンの対立教皇を支持してきたパリ大学には面白くない返答だったと思われる。
パリ大学の教授や学生ならば教会大分裂が起きたきっかけやその後の状況も知っているから、どちらを支持するかはっきり答えられます。でもジャンヌはそうした教育を受けたわけではない素朴な村の娘なので、ローマの教皇を信じると答えるのも無理ないです。
つづいてコーションはジャンヌのイングランドへの最初の警告状を追求したが、その際に彼女は「7年以内にイングランド人はオルレアンで失った物よりずっと大きな物を失い、フランスにおけるすべてを失うでしょう」と予言した。またコーションの「聖マルグリットは英語で話したか」という質問に対してジャンヌは「聖マルグリット様はイングランド人に味方してないのに何故英語でお話になりましょう」と答えた。