フランス王ルイ7世(11)

文字数 1,202文字

フランス王ルイ7世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1164年11月、カンタベリー大司教に転任していたトマス・ベケットがヘンリー2世と対立、イングランドからフランスへ亡命すると迎え入れ、ヘンリー2世に反抗する貴族たちも受け入れた。教皇アレクサンデル3世と協力してベケットを匿いながら、ヘンリー2世との和睦を働きかけてたびたび会見の場を用意したが、ベケットとヘンリー2世の和解は実現せず、ベケットは1170年12月19日にヘンリー2世の家来に暗殺された。
対立する者を家来を使って暗殺するというやり方はブルゴーニュの無怖公とよく似ています。無怖公もオルレアン公を暗殺しておきながら、口がうまくてパリ市民に人気があったため無罪となっています。このように暗殺という手段を使って邪魔者を消すような卑劣な者が権力者になると非常に危険です。
フアン1世はヘンリー2世やブルゴーニュの無怖公をかなり嫌っているようだ。
当たり前です!両方とも自分の損得ばかり考えてフランスに大変な災いを持ち込みました。許せないです!
この間6月にヘンリー2世が挙行した若ヘンリー王の共治王としての戴冠式に際し、マルグリットを戴冠式に出席させなかったことをヘンリー2世に問い質したが、ベケットをイングランドに戻しマルグリットを加えた上で再度若ヘンリー王の戴冠式を行うというヘンリー2世の提案を受けて、ベケットをヘンリー2世に引き渡した(ただし戴冠式はベケット暗殺後の1172年に挙行)
このような理由で引き渡しを要求したベケットを暗殺するなんて、ヘンリー2世もかなり酷いですね。
この頃、ヘンリー2世とアリエノールが不仲になったことを知ると、アンジュー帝国を崩壊させることを画策し始める。1169年、モンミライユでヘンリー2世と会見してベケットとの和解を呼びかけたほか、彼の3人の息子(若ヘンリー王、リチャード、ジェフリー)と臣従を交わし、それぞれにヘンリー2世の領土の分割相続を提案した。了承したヘンリー2世は若ヘンリー王にノルマンディー・アンジュー・メーヌ・トゥーレーヌを、リチャードにはアキテーヌ、ジェフリーにはブルターニュを分配し、ルイ7世に臣従礼をとらせることで大陸側の所領を確認した。
この頃フランスのかなりの地域がヘンリー2世の支配するアンジュー帝国に入っていたことに驚きました。ルイ7世はなんとかそれを崩そうとして分割相続を提案したわけですね。
リチャードとルイ7世と2番目の妻コンスタンスの娘で9歳のアデル(英名アレーまたはアリス)の婚約も結ばれ、アデルはイングランド宮廷で養育されたが、ヘンリー2世は結婚を先延ばしにして手元に留め、後にアデルに手を付けたという真偽不明の噂が流れたため、ヘンリー2世とリチャードの対立及びアリエノールがリチャード側に付く原因となった。
このあたりのことは『冬のライオン』に出てきます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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