フランス王ルイ7世(9)
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教皇エウゲニウス3世からの離婚承認教書を受け取るや否や、アリエノールは領地に帰還する。独身となった彼女には、各地からの求婚が相次いだが全てを拒否し、わずか2か月後の5月18日に、アンジュー伯・ノルマンディー公アンリと再婚する。ルイ7世とは近親婚を理由に離婚したにも関わらず、アンリはルイよりも近い血縁関係にあった。再婚は自領を守るために男性が必要不可欠だったからだが、アンリにルイ7世には無い資質と性格(数か国語を操る豊かな教養と荒々しい性格)を見出していたからではないかと言われている。アンリの方も領土拡大および対イングランド支援の野心とアリエノールの成熟した魅力に惹かれていたとされる。また再婚直後にフォントヴロー修道院に多額の寄進を行い、この修道院と生涯を通して密接に関わっていた。
多情なアリエノールの再婚とアンリへの軍資金提供にルイ7世は激怒する。さらに、この結婚によりフランス国土の半分以上がアリエノールとアンリのものとなったことは、フランス王国にとって大きな脅威となった(アンジュー帝国)シュジェールだけでなく1月にティボー4世が亡くなり(ラウル1世も10月に死去)、側近を失い孤立していたルイ7世だったが急ぎ顧問会議を招集、アンリがルイ7世の封臣にも関わらず王の許可なく結婚したことを理由にフランス宮廷への出頭を命令、無視されると7月にアンリの弟ジョフロワを加えてノルマンディーへ出兵した。
だがアンリの素早い進軍でジョフロワは降伏、ルイ7世も弟のドルー伯ロベール1世と共にヴェルヌイユを牽制攻撃したが、急病に倒れ休戦を余儀なくされた。スティーブン・ウスタシュ父子の死によりアンリは1154年にイングランド王ヘンリー2世に即位してプランタジネット朝を開き、イングランドも手に入れた。以後もルイ7世はヘンリー2世と西フランスの支配をめぐって紛争を重ね、この大陸のアンジュー帝国は後の英仏間の百年戦争の原因となった。