初代マリ伯爵ジェームズ・ステュアート(1)
文字数 970文字
ジェームズはジェームズ5世とスコットランド貴族の5代アースキン卿ジョン・アースキンの娘マーガレット・アースキンの息子として1531年に生まれた。しかし、ジェームズ5世は国益のためにメアリー・オブ・ギースと結婚することにした。そのため庶子という扱いになってしまった。このことが、おそらく野心家で有能でもあった彼の中で、無念となって長年燻り続けていたようである。スコットランドに帰国した異母妹メアリーに、全く肉親としての親しみなど感じていなかったであろうことは、後の彼の数々の行動が物語っている。
初めは、セント・アンドルーズ教会修道院長をしていた。しかし、そのうちにスコットランドの会衆の中で力を持つようになり、実力者の一人といた。夫のフランス王フランソワ2世の死後、メアリーに帰国を勧めたのはジェームズだった。メアリーはジェームズを「親愛なるお兄様」と呼んで深く信頼し、重用するようになった。1561年9月6日にメアリーによってジェームズは機密顧問に任命される。
1562年の夏に、スコットランドの有力貴族でカトリックのゴードン家がメアリーに叛乱を起こすが、これを鎮圧した功績によって、ゴードン家から没収したマリの領地はジェームズの物となり、以後彼はマリ伯と名乗るようになった。彼は枢密院で大きな権力を振るうようになった。