フィリッパ・ド・トゥールーズ(4)
文字数 929文字
フィリッパ・ド・トゥールーズについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
これはフィリッパの娘でラミロ2世と結婚したアニェスの肖像画です。
フィリッパの死後、エルマンガルドはすぐに、ダンジュルーズをアキテーヌから追放させようと行動し、故フィリッパのために復讐を目論んだ。
フィリッパの死は暗殺だったのではないでしょうか?少なくともエルマンガルドはそう信じてギヨーム9世の思い通りにはさせないように復讐を誓ったのだと思います。
トゥールーズ伯領に対するフィリッパの継承権は有効であり、彼女の孫娘にあたるアリエノール・ダキテーヌがルイ7世と結婚しフランス王妃となった後、1141年にトゥールーズ伯位を主張し占領しようとした。
また、アリエノールの2人目の夫イングランド王ヘンリー2世との息子リチャード1世もイングランドとトゥールーズの併合を目論んだ。
トゥールーズに関してはその後もいろいろあったようです。
ギヨーム9世とフィリッパの間には以下の子が確認されている。
・ギヨーム10世(1099年ー1137年)アキテーヌ・ガスコーニュ公にしてポワティエ伯
・レーモン(1099年以降ー1149年)アンティオキア公(生母をダンジュルーズであったとする説あり)
・アニェス(1103年ー1159年)トゥアール副伯エメリー5世と結婚し、死別後アラゴン王ラミロ2世と再婚。
・聖マクサンスの年代記によると、ギヨーム9世には、他で存在は明記されているものの名前の記録がない娘が4人おり、その母をフィリッパとする説が唱えられ、その中の1人であるフィリッパという娘がペリゴール伯エリーと結婚し、アデライードという娘は、シャテルロー副伯エメリー1世とダンジュルーズの次男フェイ・ラ・ヴィヌーズ卿ラウル・ド・フェイと結婚したと推察される。
フィリッパの生涯は不幸でしたが、その血はいろいろな国の王家に流れています。娘のアニェスを通じてアラゴン王家にもギヨーム9世とフィリッパの血が流れ、ペドロ2世やハイメ1世などはギヨーム9世の血が強く出て、フィリッパの血は遠い子孫のヨランド・ダラゴンに強く出ているように思いました。
次回からフィリッパの娘でラミロ2世と結婚したアニェスについて調べてみます。
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