マーガレット・オブ・ヨーク(2)

文字数 1,369文字

マーガレット・オブ・ヨークについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1468年6月18日、マーガレットはブルゴーニュ公シャルル(突進公)との結婚のため、ロンドンを発った。6月25日にヨーロッパ大陸側ゼーラント伯領のスロイスに到着し、ここでシャルルの代理人と婚約式を執り行った。7月3日、ダンメ(仏、ダム)でソールズベリー司教の手により、シャルル突進公と結婚式を執り行った。そして同日、6km南西にあるブルッヘ(仏、ブリュージュ)への入市式を行った。
随分詳しく記録が残っているのですね。
入市式は壮麗なもので、シャルルをキリストに、マーガレットをキリストの花嫁に例えた、数々の出し物(パジェント)が催された。さらに、市民、聖職者、そして商人が行進した。この様子は「世紀の結婚」と呼ばれた。また二人の婚姻に際し、シャルル突進公は金羊毛勲章を、エドワード4世からはガーター勲章をそれぞれ贈呈しあった。
ブルゴーニュ公シャルルにとっては3度目の結婚なのに随分派手ですね。
シャルルはリエージュ司教領を手中に収めるための戦いの渦中にあり、結婚の1か月後にはブリュッセルを経てペロンヌへ向かった。マーガレットとの結婚、すなわちイングランドとの同盟と、リエージュ戦争への対処は、公位継承したばかりのシャルルにとり重要な課題であった。
シャルルもいろいろあって大変そうです。
マーガレットとシャルルには子供がなかったが、マーガレットはすでに亡くなっていた先妻イザベル・ド・ブルボンの所生であるマリー(当時11歳)の良き母として努め、マリーもまた義母マーガレットを慕った。
義母がいい人というのが信じられないです。僕は義母に苛められ、異母弟が生まれた頃修道院の中にある孤児院に入れられましたから。
イングランドで新たに英語での印刷・出版技術を導入したウィリアム・キャクストンはヨーク派支持者であり、マーガレットは彼のパトロンの1人だった。キャクストンはマーガレットの結婚式依頼、マーガレットに仕える財政顧問としてブルゴーニュとイングランドを媒介し、政治家と商人の間で助言を行っていた。そして、翻訳及び印刷・出版という新技術によるビジネスにも取り組んだ。
私も文芸や芸術には力を入れ支援していました。印刷技術が普及する前でしたが・・・
彼の最初の英語での印刷物である『トロイ物語集成』は、元々はネーデルラントにおいて、ブルゴーニュ公がヘラクレスの子孫と信じられていた背景もあり、人気を集めていた書物であった。キャクストンはこれを1474年末から1475年初頭頃に英訳を、新たなメディアとして出版した。キャクストンは翌1476年以降、イングランドに帰国し、騎士道文化及び文学作品の印刷・普及に多大な影響を与えた。
本の出版や普及にこういうことが関係していたなんて知らなかったです。
キャクストンがマーガレットに献上するために特別に作った彫版による複製画今も残されており、カリフォルニアのハンティントン図書館に保管されている。マーガレットによって注文された多くの素晴らしい原稿のうち、最高のものはシモン・マルミオンに装庁を飾られた「トンダルのヴィジョン」とされ、複写がJ・ポール・ゲティ美術館で公開された。
マーガレットはパトロンになって文芸や芸術に貢献していたのですね。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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