ブルゴーニュ公フィリップ3世(4)
文字数 1,104文字
ブルゴーニュ公フィリップ3世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。なお、説明では善良公という言葉がよく出て来るのですが、私はこの人物が善良とは思えないので、今回からはフィリップ3世と書くことにします。
1430年1月にフィリップ3世がベッドフォード公の従妹に当たるイザベル・ド・ポルテュガルと3度目の結婚をしても両者の溝は埋まらず、1432年にアンヌが亡くなり翌1433年にベッドフォード公がジャケット・ド・リュクサンブールと再婚したことで疎遠になっていった。
1432年にリッシュモンがフランス宮廷に復帰、1433年にリッシュモンと対立したラ・トレモイユが追放されるとフランスはブルゴーニュとの和睦に傾き、フィリップ3世もこれに応じ1434年12月から1435年2月にかけてヌヴェールで交渉して1429年の予備交渉で決めた和睦条件を調整、7月からイングランドも加えてアラスで行われた講和会議でイングランドが離脱すると、フランス・ブルゴーニュ間で交渉が纏まり、9月21日にアラスの和約でフランス王家と講和した。これにより、百年戦争はフランスの勝利へと向かうことになる。なおベッドフォード公は和約の1週間前の9月14日に死去している。