ニコラウス・コペルニクス(1)

文字数 1,031文字

ニコラウス・コペルニクスについてです。作品集は下の画像から入ってください。
ニコラウス・コペルニクス(1473年ー1543年)は、ポーランド出身の天文学者。
僕が生まれたのは1518年なので、それよりもかなり前に生まれています。
カトリック司祭であると誤解されがちであるが、第二ヴァチカン公会議以前に存在した制度の「下級品級」であり、現在でいわれるような司祭職叙階者ではない。
カトリックの制度は複雑です。
晩年に『天球の回転について』を著し、当時中心だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされる(ただし、太陽中心説を初めて唱えたのは紀元前三世紀のサモスのアリスタルコスである)
そんなに昔から太陽中心説を唱えた人がいたのに、その考えは広まらなかったのですね。
また経済学においても、貨幣の額面価値と実質価値の間に弊履が生じた場合、実質価値の低い貨幣の方が流通し、価値の価値の高い方の貨幣は退蔵され流通しなくなる(「悪貨は良貨を駆逐する」)ことに気付いた人物の一人としても知られる。

コペルニクスはまた教会では司教座聖堂参事会員(カノン)であり、知事、長官、法学者、占星術師であり、医者でもあった。暫定的に領主司祭を務めたこともある。

いろいろな方面で活躍した人のようです。
コペルニクスは1473年2月19日にトルンで生まれた。生家は旧市街広場の一角にある。トルンは当時十三年戦争の結果として王領プロイセンの一部になっていたが、1772年のポーランド分割によってプロイセン王国領となり、現在はポーランドの一部に復帰している。19世紀後半から第二次世界大戦までのナショナリズムの時代には、コペルニクスがドイツ人かポーランド人かについて激しい論争が行われたが、国民国家の概念を15世紀に適用するのは無理があり、現在ではドイツ系ポーランド人と思われている。
有名人になるほど、出身地やどこの国の人であるかが重要になるようです。
王国内の共通言語はラテン語とポーランド語であり、クラクフ大学で大学教育を受けてもいることから、コペルニクスが日常生活には困らない程度のポーランド語を話すことは推定されているが、本人がポーランド語で書いたものは現在発見されておらず、彼が実際に日常会話以上のポーランド語をどの程度使えたかは定かではない。
この当時の共通言語はラテン語だったので、日常生活でどのくらい母国語を使っていたかはよくわからないようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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