ニコラウス・コペルニクス(1)
文字数 1,031文字
晩年に『天球の回転について』を著し、当時中心だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされる(ただし、太陽中心説を初めて唱えたのは紀元前三世紀のサモスのアリスタルコスである)
また経済学においても、貨幣の額面価値と実質価値の間に弊履が生じた場合、実質価値の低い貨幣の方が流通し、価値の価値の高い方の貨幣は退蔵され流通しなくなる(「悪貨は良貨を駆逐する」)ことに気付いた人物の一人としても知られる。
コペルニクスはまた教会では司教座聖堂参事会員(カノン)であり、知事、長官、法学者、占星術師であり、医者でもあった。暫定的に領主司祭を務めたこともある。
コペルニクスは1473年2月19日にトルンで生まれた。生家は旧市街広場の一角にある。トルンは当時十三年戦争の結果として王領プロイセンの一部になっていたが、1772年のポーランド分割によってプロイセン王国領となり、現在はポーランドの一部に復帰している。19世紀後半から第二次世界大戦までのナショナリズムの時代には、コペルニクスがドイツ人かポーランド人かについて激しい論争が行われたが、国民国家の概念を15世紀に適用するのは無理があり、現在ではドイツ系ポーランド人と思われている。
王国内の共通言語はラテン語とポーランド語であり、クラクフ大学で大学教育を受けてもいることから、コペルニクスが日常生活には困らない程度のポーランド語を話すことは推定されているが、本人がポーランド語で書いたものは現在発見されておらず、彼が実際に日常会話以上のポーランド語をどの程度使えたかは定かではない。