カール4世(9)
文字数 889文字
父ヨハンの代にルクセンブルク家がボヘミア王位を継承したことは、キリスト教世界におけるボヘミアの国威発揚と国力増進を意味していた。そして若くしてボヘミアの君主となったカール4世は、チェコ人によってしばしば「祖国の父」と称される。チェコ人は西スラブ語系のチェコ語を話す民族で、モラヴィア王国時代にはキュリロスによってギリシア正教の布教もなされたが、10世紀後半以降にカトリックへの改宗が進んだ。
カール4世は、皇帝の都としてのプラハを大々的に建設すると共に、商工業を育成し、さらにボヘミアの地位向上を目指した。王子時代に建設された聖ヴィート大聖堂には「聖ヴァーツラフの王冠」が納められ、その王冠の下でボヘミア・モラヴィア・シレジア・ラウジッツが統合されると証書に定めた(ボヘミア王冠領)
自負するところも相当に強かったカール4世は、各地に自身の名を冠した城を築いている。チェコのカレルシュテイン城は、カールが皇帝となった1348年にプラハ南西近郊の岩山に建設された城であり、帝冠と王家の紋章とが保存されることで知られる。現在は、古城街道を構成する城の一つとして人気の観光地となっている。