フランス王ルイ6世(5)
文字数 929文字
ルイは治世の初めから支配の存続をかけて戦わなければならなかった。彼の実際の領土である王領は、オルレアン、パリ、サンリスを中心とするイル・ド・フランスに限られていた。この領土の周囲には、北はノルマンディーとフランドル、東はシャンパーニュ、西はアンジューとブルターニュ、南はアキテーヌといった強力な封建諸侯領があった。これらの地方領主たちは、国王を形式的に自分たちの主君として認めているだけで、独立した政策を取っていた。
私だって最初からアラゴンの財政を傾けようとは思っていませんでした。アラゴンがフランスに負けない文化的な国になれば、きっと豊かな国になると信じていました。でもフランスはフランスでいろいろあって、王は苦労しているのですね。
最も有力だったのは元妃リュシエンヌの実家モンレリ・ロシュフォール家で、彼らはモンレリ、ロシュフォール=アン=イヴリーヌ、ブレイ=シュル=セーヌ、クレシー=アン=ブリー等に城を持ち、またその親族間での繋がりも広く、父王フィリップ1世の代から王宮に圧倒的な影響力を及ぼしていた。ルイ自身、王国のセネシャルであるギー1世の娘リュシエンヌと結婚し、その実兄1106年に父から容易にセネシャル職を引き継いだ。ベルトラードを無力化したルイは、今度はモンレリ家の勢力の無力化を図った。