ゴドフロワ・ド・ブイヨン(6)
文字数 734文字
民衆十字軍はラインラント地方でユダヤ人を大量虐殺し、そしてハンガリー軍と全面衝突をして半数の10,000人もの兵を失っています。指揮官のいない寄せ集めの軍隊ほど残虐になり、そしてまた悲惨な結末を迎えるという例になっています。
結果、その後にゴドフロワの軍勢がハンガリーに入国する際、数日間に渡るハンガリー王国との交渉をせまられたという。そして11月、ユーグ1世率いる軍勢の着陣に続いて、ゴドフロワ率いる軍勢はコンスタンティノープルに到着した。
アレクシオス帝は想定外の規模の軍勢の来着に困惑した。コンスタンティノープルに集結した十字軍が4,000~8,000の騎馬隊、25,000~55,000の歩兵部隊にまで達していたからだ。これはビザンツ・ローマの両勢力が目指す目標の違いが原因とされる。ローマ教会は異教徒(ムスリム)から聖地を解放し自勢力の制御下に置くことを目標としていたのに対し、ビザンツ帝国はただ単にセルジューク朝に奪われた領土の奪還を目標にしていたからだ。アレクシオス帝は十字軍に帝国への忠誠を求め、再征服した領土の一部を帝国に還元することを要求し、レーモン4世を除くゴドフロワやその他の多くの諸侯はその条件を認めた。