ボードゥアン3世(3)
文字数 1,023文字
エルサレム王国では女性と子供による統治が開始され、政治的状況はより緊迫したものとなった。トリポリ伯国、アンティオキア公国、エデッサ伯国といった北方の十字軍国家はエルサレム王国からの独立の主張を強め始めたものの、この時のエルサレム王国にはかつてボードゥアン2世やフルク5世が行ったように諸国に対して宗主権を強制させることのできるほどの国王は存在しなかった。
またムスリム世界においては、ザンギーがモースル・アレッポをはじめとするシリア地域を統治しており、さらに勢力を南部に拡大してダマスカスを征服しようと企んでいた。1144年、ザンギーはエデッサ伯国の首都エデッサを攻め落とし、十字軍国家のひとつであるエデッサ伯国を滅亡に追い込んだ。これは西ヨーロッパ世界に衝撃を与え、エデッサ回復を標榜する新たな十字軍遠征が計画・実行された。
新たな十字軍は1148年になって初めてエルサレムに辿り着いたが、1146年には強敵ザンギーが暗殺された。ザンギーの政策は息子のヌールッディーンが引き継ぎ、彼もまたダマスカス併合を目指していた。ヌールッディーンのダマスカス併合の企みに対抗するため、ダマスカスのムスリム政権はエルサレム王国と同盟を結び、相互防衛協定を締結した。
しかし1147年、ムスリム人のダマスカス領主ムイーヌッディーン・ウヌルはエルサレム王国との協定を破棄し、代わりにヌールッディーンと同盟を締結した。エルサレム王国がウヌルに対して反旗を翻したムスリム領主と同盟を結んだことが原因であった。ボードゥアン3世はエルサレムから出陣し、ムスリム人がおさえるボスラ砦を占領しようと試みた。しかしこの際、ヌールッディーンが軍勢を率いてボスラに現れたため、十字軍は撤退に追い込まれた。十字軍は王国から撤退する際、ヌールッディーン指揮下の騎馬隊から攻撃を受けたが、ボードゥアン3世は勇敢に騎士たちを指揮してヌールッディーン軍を迎え撃ち、ムスリム軍を追い返した。その後、エルサレム王国とダマスカス政権との間で再び協定が締結された。