ボードゥアン3世(2)
文字数 687文字
ボードゥアン3世は1130年に誕生した。このころのエルサレム王国はボードゥアン3世の母方の祖父ボードゥアン2世が統治しており、ボードゥアン3世は王国建国から3世代目の統治者として誕生したのであった。ボードゥアン3世の母親はエルサレム王族のメリザンドであり、彼女はボードゥアン2世の娘であったことからエルサレム王位の女性相続人とされていた。ボードゥアン3世の父親はフルク5世(前アンジュー伯爵)であった。
ボードゥアン3世が1歳のころ、祖父ボードゥアン2世が60歳で亡くなり、彼の後継の座を巡ってメリザンドとフルクは権力闘争を開始した。メリザンドは自身が前エルサレム王の娘であることを理由に自身の正統性を主張した。結局、メリザンドとフルクは和解した。そしてメリザンドはボードゥアンはボードゥアン3世の弟アモーリーを身籠った。
1143年、フルク5世は13歳のボードゥアンを残して狩猟中に不慮の事故死を遂げた。父親の死を受けて、ボードゥアン3世はメリザンド王妃とともに共同統治者としてエルサレム王に即位した。しかしボードゥアン3世はまだ若く、複雑な政治に興味をあまり示すことはなかった。