ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート(2)
文字数 944文字
早速メアリーは、ダーンリーとの結婚を考えるようになる。当時、メアリーの再婚相手について様々な相手が検討されていたが、いずれの結婚もエリザベス1世やカトリーヌ・ド・メディシスの妨害などにより実現していなかった。
このダーンリーとの結婚も、内外からの多くの反対にあった。まず、カトリックの国王が誕生することに、多くのプロテスタント貴族や国民たちが反対した。組合貴族達の宗教改革により、スコットランドの国教はプロテスタントになっていたためである。また貴族達の中には、レノックス伯に宿怨を抱いている者が多かった。
だが、メアリーとダーンリーの結婚について先頭に立って反対したのは、マリ伯ジェームズ・ステュアートだった。彼は元々はメアリーの異母兄というだけで、王位に対して何の正当な権利もない、ただの私生児に過ぎなかったが、メアリーがスコットランドに帰国して以来、信頼できる肉親として修道院長から伯爵にまで出世し絶大な権力をふるっていた。
マリ伯ジェームズ・ステュアートは修道院長だったということは聖職者として育てられたということですよね。ラミロ2世が実の弟で王位継承権があるにもかかわらず修道院長として生涯を全うしようとしていたのに比べて随分図々しいです。
マリ伯は、自分の権力が失墜するのを恐れ、イングランドのエリザベス1世に結婚の阻止を頼んだ。マリ伯は、ダーンリー父子が自分を殺そうと狙っているとも主張し、メアリーと激しい口論になった。マリ伯はメアリーとダーンリーを誘拐した上でダーンリーをイングランドへ追放し、メアリーを退位させて自分が政権を握ることを計画していたという説もある。エリザベス1世にとっても、それでなくともイングランド王位継承権を持ち、自分の要求通り王位継承権を放棄しなかったメアリーは忌々しい存在だったが、強力なイングランド王位継承権を持つダーンリーと彼女が結婚することはさらに大きな脅威だった。